*1161456505*[報道メディア]便所紙のような弁護士、愛は勝つのか?

 本当にアクセス数が伸びないみたいです。それでも昨日は久しぶりにPV数が千の大台まで近づいたのですが、余り関心を持ってもらえず残念です。やはりそれだけの問題が情報を送ってきた私の側にもありそうですし、色々と考えさせられてしまいます。
 結局これは、司法や警察、検察に対する関心の低さも反映した数字なのでしょうか? それと「とおりすがりシリーズ」さんのコメントにあるような意見が多勢なのか。まあ、お陰で私も原点としての平成四年の事件を見直すようになってきました。
 間違いを起こしたことはよくわかっています。ただ、自分なりには仕方がなかったとも諦めてきました。それだけ苦しみ抜き、苦境から抜け出す手段として被害者AAさんに危害を加えてしまったのです。事件を起こす前から、食欲不振や不眠が続き、ただでさえ不規則な長距離トラック運転手の仕事に支障を来し、大事故を起こすような危機感を感じていました。
 自慢と受け取られればそれまでですが、私はそれまで、精神的肉体的な限界に挑むような過酷な運行を繰り返し経験し、危ない思いも数々経験していました。
 走行距離だけで一般の大手運送会社の運転手の倍ぐらいは走行していたようです。それに三月から四月の始め頃はまだ、大雪も降る時期で、雪の降る時期はとても神経を使います。基本的に雪のない時期と運行時間に関する条件は同じであり、佐川急便などと違って、市場の仕事はどのような条件にもかかわらず、セリの時間に間に合わせるのが必須でした。
 一例を挙げると、茨城県古河市の市場から青果物を積み、北陸の富山市高岡市金沢市福井市の四カ所の市場に荷卸しすることがあり、出発の時間というのも早いときで一九時半頃。遅いときは二一時頃でした。普通、市場のセリの時間というのは早朝の五時なので、二一時に出発すれば八時間以内に、すべての荷卸しを完了させなければならないことになります。高速道路のインターから離れた市場もありますし、荷卸しに待ち時間が出ることも普通です。
 運不運もありますが、大雪が降ったり、路面が凍結しても同じ条件なので、神経を使います。青果物なので鮮魚よりははるかに気楽ですが、眠くなって仮眠を取るなどあり得ないことです。
 遅い出発時間の四カ所おろしというのは余りない例ですが、荷積みを始めるのも夕方五時ぐらいからだったと思います。昼の一二時頃にも一部の積み込みがありました。
 その時によって違いがありますが、昼の決まった時間内に仮眠を取る必要があり、ただでさえ明るく騒がしい昼というのはなかなか熟睡できないものです。
 市場急配センターの仕事は比較的楽でした。ただ、運転手間の不公平も顕著で、割の合わない仕事を回されるのは、私と安田敏に決まっていたような感じで、一部はわがまま放題で他に負担を押し付けていました。それを割り引いても楽な運行でしたが、被害者AAさんとのことで精神的な負担が増し、危機的に思うようになっていました。
 最後の運行になった古河の市場から名古屋の市場までの仕事でも、東名高速を走行中たまらなく眠くなり、大きな疲労を感じていました。
 私は昭和六二年の四月に金沢市場輸送で新車の大型保冷車に乗務してから、居眠り運転をしたのは一度だけでした。それというのもその新車での初めての運行で、四国の松山市に行き、朝方松山市内に近いところを走行中、居眠りをしました。
 事故にはならず、それほど疲れがたまっていたわけでもないので、気の緩みがあったのだと思います。トラックの運転手を始めた頃は居眠りなどいつものことで、実際に高速道路で隣のトラックにぶつかったり、国道でもガードレールにぶつかったことがありました。
 そのような厳しい条件での経験も積み重ねて、居眠りなどしなくなっていたのですが、体調管理などには気を遣い、事故を起こす限界を見極める意味で、自分の状態も常に、客観的に把握していたつもりです。
 その経験の上でも、この先がとても不安になっていて、被害者AAさんから刺激を受けることを極度に恐れていたのです。
 谷内孝志警部補の供述調書や被告訴人らの供述調書では、私が被害者AAさんに執拗に交際を迫っていたことになっています。
 しかし実際は、私が被害者AAさんに交際を求めたのは、遅くても平成三年の11月頃が最後でした。あとはすべて、私の方から「諦めるし、気にしないでくれ」と伝えていたのです。そんな言葉が彼女の真意に反し、彼女を傷つけ、さらに不可解な行動を示すという悪循環を繰り返して行きました。
 具体的な事実は途方もない分量になります。
 結局私は、彼女の真意や気持ちより、周囲の思惑や悪意に翻弄され、ますます彼女を追い詰めてしまいました。
 結局、平成4年4月1日の事件を起こしましたが、それでも彼女の態度は変わらず、求めていた答えを聞き出すことは出来ませんでした。
 たとえば、昨夜読んだ谷内孝志警部補作成の供述調書では、私が、警察に行き救急車を頼む、と被害者AAさんに声を掛けたとき、彼女が「うん」と返事をしたことになっていますが、実際は、黙ったまま返事をしませんでした。
 普通に考えておかしいと感じられることが多々あったと思いますが、それが事実であり、おかしな情況を積み重ねたことで、あのような事件にまで発展してしまったのです。
 ネットでの情報発信にはこれまでも書いてあると思いますが、沢山あるので人の目に触れる機会も少なくなっているかもしれません。これは全般的に当て嵌まることです。
 それというのは、幸いだったこととして被害者AAさんが最後に金沢西警察署に出頭するまで意識があり、問い掛けに即座に返事を返せる状態であったと言うことです。
 まず、谷内孝志警部補本人だと思うのですが、なぜ殴られたという質問をして、彼女は「わからん」と答えたそうです。そして、私のいる方向を自ら指さしたとも聞いています。これらは捜査資料の中でみたものです。
 大雑把に4月1日に至る経過を述べておきます。まず1月21日に彼女と大喧嘩してしまいました。はにかみながら「私の車で話そう」などと言ってくれたのですが、思わず「トラックでいい」などとはねつけてしまいました。これにもそこに至る経緯が含まれています。
 機会を逃したと、あとあと悔やまれることも多いのですが、それ以前から彼女に対する不信感は彼女本人の言葉で強烈なものとして植えつけられていて、条件反射のように、そのような彼女からの言葉からの刺激を極度に恐れ、反射的に拒絶するようになっていました。
 そのあとも色々あったのですが、1月21日以降は小康状態で、次第に距離を置くようになっていました。それまでは1月に入ってからでも3回は裏駐車場で声を掛けたり、トラックの中で話しをしていたことになります。
 今はすぐに思い出せないことも増えているのですが、本当に細かいことが沢山あり、一喜一憂の繰り返しでした。そこまで積極的なアプローチをしてくれる彼女に、不信感と拮抗しながら愛着も強くなり、衝突を繰り返しながらもお互いに自然な特別な関係を意識し合うようになっていました。
 平成3年というのは「愛は勝つ」という曲が大流行し、CDなど持っていませんでしたが、自然にちょくちょく耳にしており、ちょっと変わった歌だ、というような感想しか持っていませんでした。


  心配ないからね 君の想いが
  誰かにとどく明日がきっとある
  どんなに困難でくじけそうでも
  信じることを決してやめないで


  Carry on carry out
  傷つけ傷ついて 愛する切なさに
  すこしつかれても
  Oh…Oh… もう一度夢見よう
  愛されるよろこびを知っているのなら Oh…


  夜空に流星をみつけるたびに
  願いをたくし ぼくらはやってきた
  どんなに困難でくじけそうでも
  信じることさ 必ず最後に愛は勝つ


  Carry on carry out
  求めてうばわれて 与えてうらぎられ
  愛は育つもの
  Oh…Oh… 遠ければ遠いほど
  勝ちとるよろこびは きっと大きいだろう Oh…


  心配ないからね 君の想いが
  誰かにとどく明日がきっとある
  どんなに困難でくじけそうでも
  信じることさ 必ず最後に愛は勝つ


  信じることさ 必ず最後に愛は勝つ


 ネットで歌詞を調べてみました。この曲は拘置所でもよく耳にするようになり、歌詞の言葉も知るようになりました。
 当時27歳だった私は、そのような一般的な若者の流行に背を向け、恋愛ドラマにも懐疑的で都合あわせで嘘くさいと不快に思っていました。
 4月1日もレストラン十字で、彼女が「テレビ、テレビばっかり見とる」と明るく答えてくれたときも、「オレ、テレビあまりみんし(見ないし)」と素っ気ない態度をしていました。
 彼女の不可解な言動が、テレビの影響なのではと考えることがあり、理解できないと釘を刺したような気がします。どう思われるかわかりませんが、レストラン十字で席に着いた時から彼女は急に打ち解けたような和らいだ態度に変わり、1時間以上は、そのような他愛のない話しをしていたのです。
 今考えると、彼女のなかには「愛は勝つ」の歌詞にあるような想いがあったのかもしれません。皮肉なことに、
  求めてうばわれて 与えてうらぎられ
  愛は育つもの
という繰り返しでした。

 小康状態と書きましたが、それも比較上のことであり、活発な彼女の活動も控えめになっていたという程度です。そして3月の5日と19日に、彼女が会社で指輪を見せつけるようなことがあり、そこから当て擦りや逆恨みをされたような気分になり、23日の松平日出男を交えた会見や夜の電話に繋がり、ここでもう一度打ち解けたような良好な関係に戻ったのですが、土壇場になった4月1日の退社時、彼女の表情は急に険しくなっていました。疑う余地もなく池田宏美や梅野博之がよからぬことを吹き込んでいたのでしょう。実際、梅野博之本人も自白のような事実を供述しています。

 「愛は勝つ」という言葉も久しぶりに思い出しましたが、そのような人間的な感情を押し殺し、没却して来たから、良くも悪くもここまでやってこれたのだと思っています。
 そういえば、北斗の拳パチスロでも、
  愛ふかきゆえに、愛を捨てた男サウザー
というのが出てきますね。漫画の方を読んでいないので詳しくは知らないのですが。
 パチスロサウザーケンシロウに負けると、
  悲しい男よ、誰よりも愛ふかきゆえに
とかいうアナウンスが流れたように思います。
 まあ、これでマスコミにも相手にされないでいれば、本当に終わっちゃいそうですね。誰のため、なんのために、こんなことを続けてきたのか、乏しいアクセス数を見ながらついつい考え込んでしまいます。
 このブログも昨年の12月から初めて10ヶ月以上経っているはずですが、PV数は10月22日2時52分現在で「38136」です。人気のあるブログであれば一日で軽く超えそうな数字です。
 いろいろと疑問のむきもあると思いますが、警察、検察、弁護士、刑務所、裁判所を含め、私自身疑問だらけの繰り返しで、とにかく事実の経過を忠実に記録し、お伝えできるように心掛けてきました。それが裏目に出ているとも考えられますが、最後に勝つことを目指してきたから、そうなったような気がします。遠い昔の思い出となっていますが....。
 このアクセス状況では、マスコミも動かないかもしれません。検察に初めから理解に無理があったのではないかと、苦情を入れておきましたが、返戻書が郵送されたあとになっていました。

 そういえば、弁護士の守秘義務などに関して書く予定でした。要となった一審の国選弁護人、岡田進弁護士ですが、印象と言えば、「便所紙」ですね。クソの役にもたたなかったので、それ以下です。私個人に関して言えば、守秘義務など無用のことですし、納得の行ける説明責任を市民の一人としても果たしてもらいたいところです。
 金沢地方検察庁の遠塚さんにも言ったことですが、私が検察と話した内容を間接的に書いても効果のないことです。やはりマスコミの介在が不可欠と思えるのですが、いかがでしょう。忌憚のないご意見を頂きたいところです。


 弁護士や法曹の質の低下もより強く懸念される傾向にあるようです。
参考情報:<■[法曹養成]司法修習“追試救済”やめます…質低下防止、来年から>
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20061012#1160609420

 次なんかも不可解な裁判に関する情報です。
<●セクハラ控訴審(ちょっと?)>
http://www.yabelab.net/blog/2006/10/20-092016.php
 情報量が少なく中味がわかりませんが、出た判決の効力は大きいことでしょう。大学教授らしいですね。長距離トラック運転手とは、天と地の開きもありそうです。女性の首まで絞めていたそうですが、懲戒事由には至らないとのこと。公正な裁判であったのかも含め、色々と不可解な点がありそうです。国民が納得できるような裁判だったんでしょうかね。