下平豪検察官について

 被害者AAさんの父親AKさんに対する傷害事件を起こしたのが、平成11年の8月8日で、12日に金沢中警察署に逮捕され、金沢中警察署の留置場で生活していましたが、確か9月22日ぐらいに、金沢刑務所のなかにある拘置所に移送されました。覚えていることと言えば、被害者AAさんとよく似た年格好の婦警さんが同行していたことです。
 その婦警さんは、金沢地方検察庁に検事調べに行くときも、何度か車の運転をしていたことがあり、一度、乱暴に交差点を曲がったので、手錠をはめていたことでバランスを崩し、転がりかけたことがありました。女刑事にはとても見えなかったのですが、何度か同行したことを覚えています。
 逮捕されるとだいたい二日目ぐらいに、金沢地方検察庁に連れて行かれ、しばらく話しを聞かれてから、裁判所の裏側にある部屋に連れて行かれます。被害者AAさんの事件の時は、初めての経験だったので、なにがなんやらさっぱり分からなかったのですが、その後、勾留尋問だと知りました。
 平成11年の被害者AAさんの父親AKさんのときは、テレビでよく見かける裁判長が、ラフな私服姿で対面しました。たぶん土曜日だったと思います。伊東しんいちろう、というような名前だったように思います。この裁判長は、その後、再審請求の裁判長にもなっていました。
 その勾留尋問に連れて行かれる前に、金沢地方検察庁で話を聞かれたのは、大野という若い、プロ野球の新庄選手にも似た検事でした。私が、普段の汚れた作業服姿であったことを含め、呆れたような顔をしていました。私は、あえてそのような服装を選んで検察に行ったのです。
 大野検事の取り調べを受けたのは、その時だけで、その後はずっと下平豪検事で、公判の立ち会い検事でもありました。取調べは、けっこうな回数と、時間も多めでした。より大きな事件であった被害者AAさんの事件の時の、正味3倍以上はあったと思います。あるいは5倍ぐらいでしょうか。
 少し変わっていたのは、検事室での取調べは一度もなく、ずっと司法修習生の実習室のような教室で、取り調べを受けたのも若い、修習生でした。温室育ちというのか育ちもかなりよい感じで、まだ学生のような雰囲気を色濃く残した人でした。
 けっこう打ち解けて話しをしていたのですが、時々手持ちぶさたで、方手錠で片方の腕だけについた手錠を振り回し、横にいた金沢中警察署の刑事にたしなめられることもありました。
 金沢中警察署の取調べでも、「このような事件に発展したのは、ひとえに金沢地方検察庁の事件処理に問題があったからです。」と述べ、そのまま調書に記載してもらっていたのですが、これも相当まずかったのかもしれません。
 司法修習生にも同じような趣旨の検事調書(検面調書とも)を作成してもらったのですが、正面の先生が座るような机に座った下平検事が、私の方を睨みながら、ずいぶんといらいらした様子で、やけくそのようにタバコを吹かしつけていました。
 最後に、夜遅い取調べになり、夜10時ぐらいまで金沢地方検察庁にいました。同行したベトナム人女性だったかの取調べが長引いていたのも一因と聞かされていましたが、わざと時間を遅くしているようにも思えました。
 辛抱を切らした様子で、おもむろに私の前に来た下平検事が、修習生の作った調書を丸ごと破棄し、自分が作成したものを差し出し、私に署名捺印をもとめたのです。意気込みも強かったので、これは仕方ないと考え、「在宅起訴」を条件に、サインをしました。
 下平検事は、かぶりを振るように頷き、誠心誠意力強い調子で「上司に伝える」と言っていました。細身で頭のよさそうな人でしたが、動揺し、異様なぐらい感情が高ぶっていました。もっとも演技の可能性も多分にあるように思えてはいたのですが。
 そのあとの公判のことは、先程、Googleの検索で引っ掛かったgooのブログの過去記事から引用したいと思います。昨年の11月の投稿になるようです。



 当時の父親の、要求は、詰まるところ金沢中警察署に相談させるというものでした。誘導と言い換えてもいいかと思います。それ以前の段階が、金沢地方裁判所での再審請求だったはずです。誰が全体的なしきりをしているのか、私にも分かりません。
 事件を起こす前日、8月7日(土曜日)の夜、私は初めて、安藤さんの家の前に立ち、被害者AAさんらしき人の姿も少しだけ見ることがありました。そこで警察を呼ばれ、金沢中警察署で一悶着を起こしたのです。およそ一週間後に、その金沢中警察署の留置場に入るとは、夢想だにしていませんでした。
 このような経験も私をより慎重にさせ、一方でより大胆にもさせてきたのです。

 父親の姿は、公判の法廷にもありましたが、判決の日はいませんでした。被害者AAさんの裁判の時も同様で、判決の法廷に姿はありませんでした。
 印象的だったことは、担当検事の下平豪検察官が、法廷で私の横に歩み寄り、父親の怪我の程度を写した写真を見せたことでした。思ったよりひどい怪我で、とても10日で直るとは思えませんでしたが、誇らしげで、強い意志を感じる姿でした。

 ある意味、私は勧進帳のようなことを意識的にやったわけです。警察を動かすためです。警察を動かしたいというのが、父親の目的であり願いであると理解したので、やり過ぎもありましたが、期待に応じることはできたかもしれません。

 勧進帳という言葉は、その半年ほど前に初めて知り、頻繁に口にしていたのが、被告発人の一人で、私の雇い主でもあったKYです。今年は、大河ドラマ源義経をやっていますが、見てはいません。勧進帳の場面は既に終わっているかもしれません。
http://blog.goo.ne.jp/hirono_2005/e/12865bd83d925f49612d784051b1fe37

 当時からうすうすとは感じていましたが、いずれも大掛かりな演出の一部だと思われます。拘置所と言うところは、衣食住が保証され、裁判の書面、つまり事実記載をするには最適な場所でもあるからです。もっとも手書きしか出来ず、参考にできる書籍も限られるので、作業効率はよくありません。
 あと、この被害者AAさんの父親AKさんの傷害事件では、逮捕された直後に、金沢中警察署に当番弁護士が来てくれました。若い弁護士で名前を名乗っていたように思いますが、記憶できませんでした。覚えているのは、自ら元検察官だと話していたことです。
 国選弁護人は、野田政仁という人でした。岡田進弁護士よりははるかにましで、説明もあり、私の話を聞いてもくれましたが、内容はないに等しいもので、私の存在を無視したように型式通りの弁護をやっていた様子です。
 傷害罪だけだったので、一応罰金刑の可能性もあったのですが、懲役刑が選択されれば、5年以内の再犯扱いで、実刑は確実だと言われていました。
 控訴審の国選弁護人は、小堀秀行弁護士でした。名古屋高検の検察官と、席を入れ替えて座っていたことなど、このブログでも紹介済みかと思います。小堀弁護士とは、この事件の前にも少々経緯があったのですが、そのことも書いてあるかと思いますので、省略します。
 金沢弁護士会の会員名簿は次のURLでご覧になれます。
http://www.kanazawa-bengo.com/member.html




最新の告訴状はこちらにあります。
<■[告訴事件]平成18年10月2日付告訴状>
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20061002/1159739535