YouTubeで動画を視聴した映画「少年時代」、視聴後の深澤諭史弁護士のツイート:「少年時代」と「弁護士に向かって」

YouTubeで動画を視聴した映画「少年時代」、視聴後の深澤諭史弁護士のツイート:「少年時代」と「弁護士に向かって」


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石川県警察珠洲警察署御中
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深澤諭史弁護士,金沢刑務所,拘置所,金沢市場輸送,北周士弁護士


〉〉〉:Emacs: 2019-11-27(水曜日)11:44  〉〉〉

5780: 「街弁になる予定」というアカウントの反応と深澤諭史弁護士の返信ツイート:裁判員裁判三傑③否認する被告人に真実話さないと償えないと問う裁判所←NEW!! - 金沢市駅西本町所在市場急配センターにおける組織犯罪殺人未遂事件として再捜査の要請書/石川県警察珠洲警察署御中 http://hirono-hideki.hatenablog.com/entry/2019/11/27/114301

 上記の投稿済み記事エントリーの作成中の発見でした。YouTubeでなにか短い動画を視聴した直後に、次の動画として候補に出てきたのが「少年時代」の映画でした。先に視聴した短い動画のことが思い出せないのですが、経緯として記述はしてあると思います。

▶▶▶ kk_hironoのリツイート ▶▶▶

RT kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁石川県警察御中)|kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁石川県警察御中) 日時:2019-11-27 11:52/2019/11/26 18:56 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1199521344674652162 https://twitter.com/kk_hirono/status/1199265672850575360
> » 『かぐや様は告らせたい ~天才たちの恋愛頭脳戦~』TVCM 純愛?編 - YouTube https://t.co/XvceBiC3Vq

▶▶▶     End     ▶▶▶

» 告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁石川県警察御中(@kk_hirono)/2019年11月26日 - Twilog https://t.co/12moxSAQgK

 映画「少年時代」のYouTube動画の発見は、ちょうど19時頃だったようです。少年時代は、平成の初め頃のテレビCMのテーマ曲と、金沢刑務所の拘置所で官本として読んだイメージと記憶が強く、映画のことはしらなかったように思います。

 視聴後に、ネットでいろいろと調べたところ、「柏原兵三の小説『長い道』」という原作があったことも初めて知りました。初めてみた名前ですが、受賞歴があったり著名な人物であったようです。

 個人的に、似たところで思い出したのは、たしか「事件」という小説の作者で、名前は思い出せないですがずいぶん有名な作家であったようです。事件という書名にも100%の記憶の自信はないのですが、調べてみます。この本も金沢刑務所の拘置所で官本として読みました。

 調べる前に少し思い出したのですが、「昇平」であったような気がしてきました。「事件 昇平」でGoogle検索をしてみます。

 大岡という名前も、直前の行を書き始めたところで頭に浮かんでいたのですが、大岡という名前は「大岡越前」という時代劇の印象が強く、江戸時代の現在の裁判官のドラマでもあるのですが、記憶が混同しているのかと一抹の躊躇がありました。次に調べた記事を一部引用します。


 『野火』『俘虜記』『レイテ戦記』『武蔵野夫人』などで有名な作家大岡昇平による裁判小説です。つい最近,創元推理文庫から新しく出ました。帯には「日本文学の重鎮が描破した不朽の裁判小説」とあります。描破(びょうは)はATOKが変換してくれずどんな意味だろうと思いましたが,すべてを書き尽くすという意味だそうです。たしかに,刑事手続,とくに法廷での手続が丁寧に描かれています。

 時代は昭和36年ですので,60年くらい前ですね。19歳の若者による殺人事件が起訴され,その公判でのやりとりが小説の大半を占めます。

 現行刑訴法は戦後の昭和23年に全面改正されていますが,このころはまだ旧刑訴法の名残らしきものがあったようです。当時は裁判官のなり手が少なかったという話や弁護人に支払ったのが20万円(現在の200万円くらい?)という話など,いろいろと当時の様子を知ることができて興味深いです。

[source:] 『事件』大岡昇平 - 法学道場 https://hougakudoujou.jimdo.com/%E6%B3%95%E5%AD%A6%E6%9B%B8%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E5%A4%A7%E5%B2%A1%E6%98%87%E5%B9%B3/

 金沢刑務所の拘置所では、刑務官が車のついた本棚を押して歩くもので、書名のみをみての選択になりました。福井刑務所では図書室での選択で、金沢刑務所の受刑中は工場の食堂に本棚が据えてあって、これも本を開きながら自由に選択をすることができました。

 ずいぶんと有名な作家の本だと知ったのは、ずっとあとにネットで調べた時だったと思います。他の作品の情報をみても、法律や裁判と関係があったとは確認していないのですが、裁判官の立場と視点から刑事裁判を詳細に描いたという、現在でも他に読んだことのない作品で印象的です。


『事件』(じけん)は、大岡昇平推理小説。少年の起こした殺人の審理を中心とする小説である。1961年から翌年まで『若草物語』の題で『朝日新聞』にて連載、加筆修正ののち『事件』と改題し、1977年に新潮社より刊行され、戦後を代表するベストセラーとなった。1978年に日本推理作家協会賞を受賞した。

1978年に『事件』として映画化された。また、1978年から1984年にはNHKでテレビドラマ化され、1993年にはテレビ朝日の『土曜ワイド劇場』(主演:北大路欣也)で放送された。

[source:] 事件 (小説) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

 小説の内容はほとんど記憶になく、裁判官の日常を描いていたという以外の印象もないのですが、「推理小説」とされているのを見て、少し以外に感じました。推理小説というも以前は日常的に見聞きしていたように思いますが、最近は推理という言葉も見かけなくなっていると思います。

 「1993年にはテレビ朝日の『土曜ワイド劇場』(主演:北大路欣也)で放送された。」とありますが、たぶん再放送のものを何年か前に、少しテレビでみたことを思い出しました。もともとすごく熱のこもった演技をする俳優として見かけていたので、役柄に集中できないところもありました。

 北大路欣也という俳優も、昭和の時代からテレビのドラマでみることの多い俳優の一人でしたが、ここ数年は見かけていないように思いますし、昭和から平成のはじめに活躍した俳優も、いつのまにか見かけなくなっていたり、訃報としてニュースを見た人も少なくありません。

 昨夜視聴した映画「少年時代」でも、ちょい役で大橋巨泉が出ていましたが、それもずいぶん若く見えたのが印象的でした。数年前に訃報があって、それからもだいぶん経つと思います。

 私の世代では、大橋巨泉は「クイズダービー」というクイズ番組の司会者というイメージが大きいと思います。もともとは俳優だったのかもしれないですが、俳優として印象に残るドラマや映画もなかったような気がします。

 映画をみながら漫画で読んだ場面を思い出したのですが、近くのちょっと大きな町の写真館で2人の少年が記念写真を撮影したという場面で、その写真館の主人が大橋巨泉の役柄となっていました。宇出津でも平成9年頃はまだ宇出津小学校の近くの写真館がやっていました。

 建物は今もそのままという気もしますが、写真館の看板はずっと前に外されていたように思います。レトロな写真館での記念写真という場面は、「八日目の蝉」を思い出しましたが、八日目の蝉の作者が少年時代を参考にした可能性もあるのかと考えました。

 昨夜に視聴した映画「少年時代」では、短いセリフでしたが、写真が出来上がるのに数ヶ月掛かり、いつになるのかわからないという話がありました。現在では、スマホで撮影と同時に写真が出来上がり、事実上無制限に近い撮影も可能となっていています。

 私はYouTube動画を含め、映画を観ることも少ないですが、古い時代の映画をみたのはさらに珍しいことでした。今思い出したのですが「砂の器」以来のことだと思います。昨夜調べたところ少年時代の映画は平成2年の公開だったらしく、砂の器はその数年前になるのかと思います。

 平成2年の何月ごろの公開なのか、そこまで情報は見なかったように思いますが、撮影時が1,2年前と仮定しても、ちょうど昭和から平成という時代の変わり目になるのかと思います。昭和61年の6月に長男が誕生した時、私は21歳でした。

 同じ昭和61年の3月に結婚したことにもなるのですが、同じ21歳です。この21歳というのは、平成4年4月1日の傷害・準強姦被告事件で、被害者安藤文さんが健康な体を失った年齢にもなるもので、重いとされた後遺症の回復の程度も不明で、さらに両親を含めた生存さえも私には不明の状態です。

 時刻は13時40分です。また深澤諭史弁護士のタイムラインがきっかけで、取り上げておきたいことがいくつか出てきたのですが、1つは、岡口基一裁判官のこと、もう一つは国選弁護と伊藤建(いとうたける)弁護士のことになります。

 ネット上では「伊藤タケル」や「伊藤たける」という表記が多いですが、これはペンネームのようなものになるのかと思います。弁護士会の登録も「伊藤建」になっているものと考えますが、タレントのような別名を使っているようで、取り扱いも面倒になります。

 Googleの検索結果に1986年10月2日生まれという情報があり、富山県弁護士会と富山弁護士会が上位2件の要約に異なる記載となっています。たぶん富山弁護士会が正しいように思われますが、のちほど確認をしておきたいと思います。

 映画「少年時代」は漫画「少年時代」とともに昭和19年から終戦直後の富山県が舞台となっています。漫画版のみの記憶だったときは、生地駅周辺をイメージしていたのですが、映画版をネットで調べた情報では朝日町山崎がモデルなどと情報がありました。

 朝日町山崎という地名を確認するため調べ直しをしたところ、今度は、泊や入善町という情報が散見されました。私の漫画版のみのイメージも入善町のあたりですが、あえて生地駅としておきました。


ー プロローグ ー

ここに2冊の本があります。

1冊は芥川賞作家 柏原兵三氏の「長い道」。

もう1冊は藤子不二雄A、この記事では安孫子素雄氏と言わせて頂きます。

その安孫子素雄氏の漫画「少年時代」です。

私はこの二つの作品が好きで、何度も読み返しています。

[source:] 富山にて ー 長い道と少年時代 ー - 放浪うどん人 ☆これから うどんに 会いに 行きます。☆ https://blog.goo.ne.jp/sasuraieigabito/e/245f3925b3963cce4b2c4199a1548f2c

 「少年時代」という漫画については、過去にGoogleで調べたことがあったと思うのですが、昨夜初めてモデルとなった「長い道」という小説のことを知ったように思います。それも不思議な出会いでしたが、一夜明けて、さきほど見つけたばかりの上記の記事には、とても理解しやすい説明があります。

 安孫子素雄氏とありますが、安孫子が苗字となりそうです。個人的にも宇出津小学校のときに記憶のある生徒の名前になるのですが、今、手元にあった能登町の電話帳をみると、個人名で安孫が1件だけあり、「(タイヤ)」とありました。

 それらしいタイヤ屋があることは、道路を走っていて知っていたのですが、1,2年ほど前に、私の父親が生前、その安孫という人と一緒に、宇出津の大橋組でタイヤ屋をしていたと聞きました。そこでタイヤ屋をしていたことは知っていましたし、その店での父親の古い写真も残っています。

 昨夜から少年時代の検索で安孫子という名前は散見していたので察しはついていたのですが、やはり藤子不二雄Aの実名が安孫子素雄だったようです。もう一人はF氏となっていたように思いますが、区別はつけがたいものの藤子不二雄は、とても有名な漫画家です。

 富山県高岡市の出身ということもだいぶん前から知っていましたし、近年もテレビで漫画のペイントがされた電車をみたことが何回かありました。前にも本名は見かけていて、気に留めていなかっただけなのかもしれないですが、今頃になって実名を知ったような気分になりました。

 漫画版の少年時代を見たときも、すぐに似ていると思ったのが「魔太郎がくる!!」という漫画です。本当は「魔太郎がとおる」と思ったのですが、Linuxのmozcで変換候補が「魔太郎がくる!!」として出てきたので、こちらが当たっているのだと思います。

 昭和40年代の終わり頃、週刊少年チャンピオンの連載として記憶にある漫画で、もっと後にも連載が続いていたように思われる「ブラックジャック」とも連載が重なっていた時期があったようにも思われます。ブラックジャックについては、最近にも気になる法クラのツイートがありました。

 あれもこれもと一度に書くのも難しいのですが、ブラックジャック手塚治虫の代表作で、週刊少年チャンピオンの連載であったことは間違いないと思います。「三つ目がとおる」も手塚治虫だったと思うのですが、同じ時期に同じチャンピオンでの連載は、両立しそうにないと思えてきました。

 この「三つ目がとおる」もmozcの変換候補に出てきたものですが、ついさきほど魔太郎がくる!!で「とおる」と勘違い仕掛けていたので、候補が出た瞬間にちょっと驚きました。

 すでにある程度は取り上げていると思いますが、深澤諭史弁護士のリツイートとしてみたツイートに「アッサジ」とあって、「アッサジ」についてGoogleで調べたところ、どうも「三つ目がとおる」のモデルがアッサジであったと知ったのです。

fukazawas ===> You have been blocked from retweeting this user's tweets at their request.
▷▷▷ 次のツイートはブロックされているのでリツイートできませんでした。 ▷▷▷

TW fukazawas(深澤諭史) 日時:2018/10/06 15:52 URL: https://twitter.com/fukazawas/status/1048465915728130048?phpMyAdmin=cfc2644bd9c947213a0141747c2608b0
> RT @k999941457035: 貸与世代で借金あるのに某寺使ってあげたり国選やったり手弁当で人助けしたりするワシらは聖人やな。自らの身体を動物に食べさせてあげたアッサジレベルやわ。
▷▷▷     End     ▷▷▷

 「某寺」とありますが、これは一部の法クラの弁護士が、「法テラス」を揶揄し、皮肉る言葉として使っているようです。以前に作成したまとめ記事もあるかと思います。

2018年06月17日13時02分の登録: REGEXP:”某寺”/データベース登録済みツイート:2018年06月17日13時01分の記録:ユーザ・投稿:44/91件 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/06/regexp2018061713014491.html

» 生地駅 から 泊駅 - Google マップ https://t.co/nvqAF0fzQv

富山 入善と泊 ~「少年時代」の最初と最後の場面、泊駅に行ってみた~ : こっけの備忘録 https://cokkesan.exblog.jp/24719001/

 富山県のある駅前に2回は行った記憶があって、最初が昭和58年の8月頃だったと思います。真脇の1つ後輩でしたが、富山の北洋の遠洋漁船に乗っていて、頼まれて当時の女友達らを同乗させて現地まで車で送ったことがありました。その港というのが経田漁港だったと思います。

 次に、昭和59年の7月の10日頃でしたが、金沢市場輸送で北海道根室市の花咲港に行った時、行きの荷物で魚網を積み込んだのも、帰りに修理の網と鮭鱒を荷降ろししたのも同じ富山県の経田漁港でした。

 他にも、昭和58年の12月だったと思いますが、富山県黒部市YKK吉田工業の大きな工場に仕事に通ったことがあり、ダクトの空調の取り付けの仕事だったのですが、3人で民宿に宿泊しながら工場に通ったということもありました。よく雪が降っていたとも記憶にあります。

 金沢市松村のダクトの会社で小さな工場にもなっていましたが、そこを辞めた後、昭和59年の1月になってから初めての長距離トラック運転手の仕事を始めたのが金沢市場輸送でした。

 昭和59年、金沢市場輸送での長距離トラック運転手の仕事は4トンの保冷車でしたが、仕事のメインは新潟への鮮魚の定期便でした。丸中水産の仕事でした。鮮魚の運搬でしたが、高速道路の使用が認められたのは、新潟県の柿崎インターより先で、富山県内はずっと国道8号線の下道でした。

 当時は高速道路の利用自体少なかったと思いますが、富山県での北陸自動車道の終点は朝日インターで、その先は新潟県上越インターからの利用でしたが、国道8号線沿いで、その上越インターの次にあるのが柿崎インターでした。

 一週間ほど前には、新潟県長岡市を軸に取り上げることを考えていたのですが、長岡市小千谷市金沢市場輸送の鮮魚の定期便の立ち寄り先の市場があって、その近くの魚沼市の出身が米山隆一弁護士で、実家が肉屋ということから肉屋をキーワードにした深澤諭史弁護士のツイートを思い出していました。

 どうも漫画版の少年時代では、主人公の東京から疎開した少年が、成長してから泊駅を訪れるという場面から物語が始まっていたようです。これは記憶になかったのですが、物語の最後に、タケシという少年が成長して早くに亡くなったという話は記憶にありました。

 創作であれば自由な人物設定が出来ますが、昨夜、そのことを確認するためにいろいろと調べたところ、タケシだけではなく東京から疎開した少年も、38歳ぐらいで亡くなったという情報を見かけました。


そして「長い道」に出会います。

「長い道」を読んだ安孫子氏は、柏原氏と同じように疎開をし、同じような体験をした事から、

「長い道」に運命的な出会いを感じたそうです。

また、子供社会における権力闘争なども見事に描かれている事にも感銘し、この「長い道」という作品を、

漫画化することで、多くの人に感動してもらいたいと思われたそうです。

ただ、すぐには(漫画化への)行動に移せないまま時が経ち、その間に柏原氏は38歳の若さでこの世を去りました。

結局、安孫子氏は、柏原氏と生涯一度も会うことがなかったのです。

柏原氏が亡くなった後、安孫子氏は漫画化する事が使命だと感じ、柏原氏の奥様に漫画化の申し出をします。

柏原氏の奥様は快く承諾されたそうです。

そして、安孫子氏自身の実体験を織り交ぜた「少年時代」という作品が生まれました。

[source:] 富山にて ー 長い道と少年時代 ー - 放浪うどん人 ☆これから うどんに 会いに 行きます。☆ https://blog.goo.ne.jp/sasuraieigabito/e/245f3925b3963cce4b2c4199a1548f2c

 上記の引用部分には、少年時代のモデルとなった「長い道」の作者である柏原兵三氏は38歳の若さでこの世を去ったとあります。少年時代とは登場人物の名前がまるで違っていて違和感がありますが、やはり柏原兵三氏の実体験がそのまま少年時代のモデルとなっているようです。

 「結局、安孫子氏は、柏原氏と生涯一度も会うことがなかったのです」ともあります。安孫子氏が藤子不二雄A氏になりますが、存命という確認もまだしていません。もはや手塚治虫と同じく伝説の漫画家というイメージが強いので、過去の人というイメージも先行しています。


藤子 不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・エー、1934年3月10日 - )は、日本の漫画家。本名は安孫子 素雄(あびこ もとお)。大垣女子短期大学客員教授座右の銘は「明日にのばせることを今日するな」。血液型はA型。

藤本弘藤子・F・不二雄)とともに藤子不二雄としてコンビを組み、作品を発表した。コンビ解消後は本名で紹介されることも多い。筆名の「Ⓐ」は「安孫子」の頭文字である。

[source:] 藤子不二雄A - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%AD%90%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E9%9B%84A

 85歳でご存命であることを確認しましたが、昭和9年3月10日の生まれのようです。早生まれというのか学年は1つ上になるはずです。昭和11年12月25日が供述調書でみた被害者安藤文さんの父、安藤健次郎さんの生誕となるので、学年は3つ違いになりそうです。

 調べたところ、安孫子は「あびこ」と読むようです。「やすまご」とばかり思っていたのですが、mozcでは「安孫」としか変換が出来ませんでした。『笑ゥせぇるすまん』もA氏の作品だったようですが、ブラックユーモアでいくぶんオカルト的でもあったという印象があります。


藤子 不二雄(ふじこ ふじお)は日本の漫画家。藤本弘安孫子素雄の共同ペンネームである。1951年にコンビを結成。1954年から、コンビを解消する1987年まで使用。解消後はそれぞれ藤子・F・不二雄、藤子 不二雄Ⓐと名乗った。代表作は『オバケのQ太郎』(共作)、『ドラえもん』(藤本)、『パーマン』(藤本)、『忍者ハットリくん』(安孫子)、『怪物くん』(安孫子)など多数。

[source:] 藤子不二雄 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%AD%90%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E9%9B%84

 藤子不二雄F氏の方は、本名が藤本弘で、「1996年9月23日(62歳没)」と情報がありました。平成8年に亡くなられていたというのも意外でした。さらに意外だったのは「ドラえもん」の作者がこちらのF氏だったことです。共作ではなかったということになりますが私には顔の見えない人物です。

» 藤子・F・不二雄プロフィール|ドラえもんチャンネル https://t.co/BS3yWIBOvm

 調べると過去に見覚えのある顔写真が出てきて納得しましたが、62歳で亡くなっていたとは重ねて意外です。生誕は1933年12月1日とあります。昭和8年生まれで、昭和9年3月生まれの藤子不二雄A氏とは学年が同じということになるようです。

 平成11年8月の傷害事件の時、安藤健次郎さんの年齢を64歳と見たような記憶がありますが、最後に会ったのも平成18年の10月になります。85歳で存命の藤子不二雄A氏と62歳で亡くなったという藤子不二雄F氏の違いも大きく感じ、いろいろと考えさせられます。

 藤子不二雄A氏は、「曹洞宗49代目住職の息子として、富山県氷見郡氷見町(現:氷見市)の光禅寺という古刹に生まれるが」とWikipediaにありましたが、これは少し思い出したと思った情報でした。富山観光のテレビ番組で知ったように思います。

 すでに取り上げていると思いますが、被告訴人長谷川紘之弁護士も同じ富山県の有名な神社の息子だという話を聞きました。砺波市かその周辺だったと思います。長谷川紘之弁護士の年齢については情報不足で特定はしづらいです。

 そういえば、漫画版「少年時代」が週刊少年マガジンの連載だったというのも昨夜に知って意外に感じていました。改めて確認すると「1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)」が連載の期間になります。

 能都中学校の2年生から3年生という時期になりますが、その頃になると仙人町の床屋には行かなくなっていたのかもしれません。他の床屋のことは思い出せないですが、中学生まで成長してからは行っていなかったような気もします。

 宇出津の仙人町は、宇出津小学校の近くでもありますが、「いのひら」という床屋がありました。親戚の親戚になるとも聞いた憶えがありますが、小さい頃はその床屋ばかりで、散髪の時間だけでも落ち着いて座っていることが出来ず、迷惑を掛けたり、いたずらもしていたかもしれません。

 ちょうど写真でみていた手塚治虫のようなどっしりした体型で、頭はつるっぱげで僧侶のようでもあったと記憶にあります。その床屋の主人になります。その床屋には週刊少年マガジンだけが取り揃えてあって、それをまとめて読んでいたという記憶があるのです。

 「いのひら」の床屋の建物は、現在もそのままあると思いますが、割と最近まで別の人が別の名前で理髪店をしていて、最近になって三番町の方に店が移ったと聞きました。三番町の方に新しい床屋が出来ていたので、人に聞いたところ、店が移ったように話を聞いたのです。

 仙人町の「いのひら」という床屋によく行っていたのは昭和40年代になります。床屋は小路の角にあって、現在もほとんど変わりはないと思いますが、小路の先には、新町通りの道の先に宇出津小学校の階段があって、今は階段の手前がバス停になっていますが、その右側に先程の写真館がありました。

 「いのひら」という床屋も、店の奥に小路に面した玄関のような出入り口があって、入るとすぐに居間のような小さい部屋がありました。それも漫画やテレビドラマによく出てくるような部屋であったことが印象に残っており、漫画となるとその仙人町の周辺を思い出すことが多いです。

 笑いながら顔を引きつらせるように怒っていたのかと思い出しますが、「いのひら」の床屋の主人も私には手を焼き、頭にきていたのかと思います。落ち着きがなかったことは間違いなく、その傾向がその後も続き、平成4年に27歳で拘置所の生活を始めた頃は、なかなか集中も出来ませんでした。

 宇出津の仙人町は、辺田の浜の家の方から来ると、宇出津の町の中心部の入り口でした。それでなにかと憶えていることも多いのかと思います。不思議なのは現在の能登町役場の建物で、小学生の頃に完成したのですが、工事中の様子とその前の状況を全く記憶にしていないことです。

 Googleで現在の能登町役場の建物が完成した時期を調べたのですが、情報は見つかりそうにありませんでした。宇出津の古い写真として図書館で見たものは、完成時として昭和47年ぐらいとなっていた気がします。

 昭和51年7月が宇出津小学校の新築落成式という情報はネットにあって、その昭和51年の4月が6年生の進級となっていたので、6年前の昭和45年の4月が1年生での宇出津小学校の入学になるのかと推定します。これまでは昭和46年か47年の入学と考えていました。

 宇出津小学校の旧校舎のことも割合記憶には残っているのですが、昨夜に視聴した映画版「少年時代」の学校の校舎にも似ていたような気がします。100年前に出来た校舎とも聞いた覚えがあったのですが、ネットにある情報では昭和10年の焼失で、昭和12年12月の校舎新築とあります。

 それでも昭和19年が少年時代の時代背景なので、昭和12年に完成した宇出津小学校の校舎というのは、時代背景がそのまま一致しそうです。実際は、昭和51年の新校舎なので、昭和12年からだと築40年ほどの建物だったということになりますが、ずいぶん古い校舎であったという記憶があります。

» 能登町立宇出津小学校 - Wikipedia https://t.co/GvabGYsJhl

 私の記憶では、6年生に進級したときが宇出津小学校の新校舎での生活の始まりで、6年4組と記憶にありますが、3階の外れになる教室でした。現在の新校舎になってからは初めての卒業生にもなるはずです。

 年月がはっきりと記憶にあるのは、石川県立水産高校小木分校に入学した昭和55年ぐらいで、だいたいはそこから逆算をしてきました。辺田の浜から宇出津の小棚木に引っ越したのも、昭和50年4月と特定が出来たのも、ネットに「酒樽がえし」の神事が復活した年と情報があったからです。

 長い間私は、小学校4年生に進級した時に辺田の浜の家から宇出津の小棚木に引っ越してきたものと思い込んでいたのですが、実際は、小学校5年生に進級したときだったと確認できたのも、その「酒樽がえし」の情報がネットにあったからになります。

〈〈〈:Emacs: 2019-11-27(水曜日)17:34  〈〈〈

〉〉〉:Emacs: 2019-11-28(木曜日)14:04  〉〉〉

 また、いろいろと発見があって考え、思考を整理する時間も長かったのですが、深澤諭史弁護士に対しては「弁護士時代」という言葉が新たに浮かんで来ました。富山での疎開をテーマにした「少年時代」の触発もあるのですが、「青春時代」という古い曲を思い出したことが大きいです。

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