hatena-diary_20060905

[司法全般]法曹の未来、廣野秀樹からの呼びかけ

 トラックバックを入れていますが、相変わらずアクセス数は伸び悩んでいます。現状打破の秘策というのは不可能なのかもしれません。すでに検察の方でもそのような見切りをつけているものと考えられ、何も期待していないようなさばさばした対応が続いています。
 昨日の電話では、「呼び出し」にえらくこだわっていましたが、いよいよ私を直接呼んで、話を聞くつもりでいるのかもしれません。以前もそれに似たことはあり、告発状を直接金沢地方検察庁に持ってくるのを希望しているような示唆がありました。もう一年近く前になると思います。
 今日は給料の振り込みがあったのですが、仕事が終わってからATMで引き降ろし、パチスロのゲームを買ってきました。プレステ2です。「北斗の拳SE」にしようかずいぶん迷ったのですが、結局「秘宝伝」を買いました。中古で3280円でした。
 気晴らしの気分転換もかねて買ったものです。それから買い物に行き、半額の弁当とサラダを買ってきて食べました。刑務所暮らしをしていたので、おいしいものを食べたいというようなこだわりはほとんどなく、安いものがあれば迷わず買います。ハイエナのようなものですが、売れ残れば捨てるものなので、店の利益にもなるのでしょう。有り難いことです。
 貧乏暮らしなどしていますが、お金に対する執着はさほどないつもりです。何より人間の底知れぬ欲望によって、人生を滅茶苦茶にされたのですから、むしろ敵意が強いのかもしれません。
 仕事の方もずいぶん慣れたもので、派遣社員ですが、教育係のようなこともやっており、事実上現場を任されているようなものです。ひと頃に較べれば、本当に慣れたものだとわれながらに感心することもあり、満足しているわけではありませんが、その点でも恵まれているとは思っています。
 職種にもよりますが、半年から一年あれば、ほとんどの人を追い越し、追い抜く自信もあります。計算など苦手なこともありますが、耐久性、持久力というものも刑務所、拘置所生活で異常なぐらい高められたようです。
 かなわないと感じる人も少なくはありませんが、自分で選んできた道なので、それなりに妥協しつつ生活しているつもりでいます。
 これでも異常なぐらい、慎重で手堅いところもあるようです。果敢な面もあるので、必要ありと判断すれば、躊躇なく実行します。「小事の思案は重くすべし、大事の思案は軽くすべし」という言葉も座右の銘のひとつにしています。
 危ないことをやっていると考えて、アクセスを控えている人もいるかと思いますが、隠忍自重していれば、身の安泰が保障されるとは限らないでしょう。世の中には、自分より賢い人が沢山いるものと思い込んでいましたが、残念ながらバランスの取れた人は多くないのかもしれません。
 一山当てて、面白おかしく生きるというのが、今や常識に近いのかもしれない気もしています。一発屋ですね。そのリスクは、いずれ一生をふいにし、二度と浮かび上がることが出来ない社会システムへと移行しつつあるのかもしれないのですが、いかがなものでしょう。
 人類はこれまで大戦争を繰り返し、平和な時代が長続きしたためしはないとも聞いたことがあります。今一度、身のまわりを眺め直してみてはいかがでしょう。問題、疑問に感じる向きも多いと思いますが、このようなブログが存在していること自体、それだけの意義と必要性があるように思われます。その意味でも、これは必要悪なのかもしれません。
 悪に対する等価という意味でも、それ以上の悪が存在し、周知させる必要性が優先されているように思われます。
 必要があれば、悪の道へも果敢に突き進むこともときには必要なのかもしれません。今一度、検証なされることをお勧め致します。
 その点でも、ウィニーの公判には違和感を覚えることがあります。以前、週刊アスキーという本をよく読んでいた時期があるのですが、アダルト映像のモザイク除去の問題で、弁護士の先生方が果敢に反発されていたことがあり、それと共通点も感じることがあります。
 私自身規制というのは好きではなく、刑務所で不自由で、屈辱的な生活を経験しているので、なおさら感じることですが、自由を守るためには、それだけの努力も必要なのではないでしょうか。余りにも片手落ちな風潮が蔓延しすぎているように思われてなりません。
 ニーチェは道徳を破壊し尽くすような、苛烈な批判を加えていますが、一部の人間に都合のよい、不安定な規範ではなく、自主独立した規制に左右されない自由を模索しているように思えます。
 「愚かなルール必要ないよ」と言った感じですかね。世界はその方向に進みつつあるようにも思えるのですが、新しい世界の実現のためには、大きな破壊、粛清の夕嵐が必要とされているのかもしれません。
 読んでおいた方がためになると考えられるので、今一度お勧めしておきます。


実刑に処せられた元頭取らの責任も、決して小さくはないとは思いますが、より責任が重い者は、時効の壁の彼方へ逃げ去ってしまい、多額の退職金を手にし、安楽な生活を送る一方、金融機関を破綻させないために無理をして失敗してしまった者が、槍玉に挙げられ厳しくその責任を問われるという構図は、不公平という印象を拭いきれません。

上記記事の判決にあたっても、このような事情を考慮して、執行猶予を付するという選択肢もあったかもしれない、という気がします。
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060905#1157414477

政治の世界にも当て嵌まりそうな気がしますし、法学界にも当て嵌まるのかもしれません。今の冤罪という言葉など、パチンコ屋のパチスロ機の良否に負けないほど、不安定な気がします。遠隔で、背後から操作でもされているのでしょうか。情報を軽視していれば、自ずと馬脚をさらけ出す、時代環境が整いつつあるはずかと思われます。

 あるいは刑務官の実質的226事件という側面もあるのかもしれません。ろくでもない弁護士が増えればこそ、対応もぞんざいになっているのかもしれず、まともな人もあおりを食っているのかもしれません。刑務官という立場は、時代の最前線の文字通り、戦士という気もしたからです。それだけ情報が集まる環境であることは間違いなさそうです。
 江川昭子さんもご指摘なさっているじゃありませんか、弱者の吹きだまりにもなりつつあると。

 堀江氏も調子づかされて、利用されているだけなのかもしれないという気もしないではありません。そのあたりの演出も、刑務官はお手のものであり、そのうち保護房に送られるような被告人も何人か目にすることがありました。「死ぬかと思った」これが共通した戻った後の言葉でした。
 参考まで。