hatena-diary_20060815

[お知らせ]2006-01-02への意味不明連続コメント投稿について

 英語の余り読めない私ですが、このところコメントの投稿内容もおかしなものになっているようで、このブログを訪れた方々にも、少なからず不安や不快の念を与え、アクセス数の減少にも拍車を掛けているようです。
「読むだけ無駄」というコメントについて
というエントリに固執されているようでもありますので、火種となったコメント投稿について接続IPを含め、情報公開をさせて頂きます。


hirono_hidekiさんの日記にコメントが登録されました。

読むだけ無駄 (202.208.129.188)
『無駄な時間を過ごしました。
マルチポスト、多数のトラックバックしてる割に何を言おうとしてるのかさっぱりわかりません。
あなたが一方的に好きだった女性を傷つけ、服役していた?その原因も今の状況も、当時の職場の上司や仲間にあると言いたいのでしょうか?
あなたの脳内だけに留めて置いて欲しいですよ!
ほんとに読むだけ時間の無駄!!
病院行ってください!!』

http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20051227

これは「はてな」から送られてくるメールの内容をそのまま転載してものです。
 コメント投稿者のIPに関しては次の情報もあわせて公開させて頂きます。

BSD_(~)# whois -h whois.nic.ad.jp 202.208.129.188
[ JPNIC database provides information regarding IP address and ASN. Its use ]
[ is restricted to network administration purposes. For further information, ]
[ use 'whois -h whois.nic.ad.jp help'. To only display English output, ]
[ add '/e' at the end of command, e.g. 'whois -h whois.nic.ad.jp xxx/e'. ]

Network Information: [ネットワーク情報]
a. [IPネットワークアドレス] 202.208.128.0/19
b. [ネットワーク名] ASAHI-NET
f. [組織名] 朝日ネット
g. [Organization] Asahi Net
m. [管理者連絡窓口] YT5609JP
n. [技術連絡担当者] YT5609JP
p. [ネームサーバ] crusader.asahi-net.or.jp
p. [ネームサーバ] dns1.asahi-net.or.jp
[割当年月日] 2003/02/13
[返却年月日]
[最終更新] 2004/04/13 17:15:03(JST)

上位情報

                  • -

株式会社朝日ネット (ASAHI Net,Inc.)
[割り振り] 202.208.128.0/19

下位情報

                  • -

該当するデータがありません。
BSD_(~)# host 202.208.129.188
188.129.208.202.IN-ADDR.ARPA domain name pointer o129188.ppp.asahi-net.or.jp

 このコメント及び投稿者に対して、格別の思入れがあり、2006-01-02への投稿を続けているのであれば、以降やめて頂きたいとお願い致します。

[お知らせ]コメント投稿者のリンク元に連絡をいれました。


こちらからリンクのあったとコメントについ... 投稿者:廣野秀樹 投稿日:2006/08/15(Tue) 02:38 No.393
amethyst.gif ./001-2005-12.csv:2005-12-29 01:14:37,202.208.129.188,http://kimassi.net/cgi/yyb
bs/yybbs.cgi,Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.0; ja; rv:1.8) Gecko/20051111
Firefox/1.5,"ja,en-us;q=0.7,en;q=0.3",1024x768,16
 こちら方から私のブログの方にアクセスのあったコメント投稿者につきまして間接的な影響かもしれないのですが、、いまだに影響が及ぶような迷惑が繰り返しつづいております。捜査機関に正式な被害届を出すことも検討しておりますので、お心当たりの方にお知らせさせて頂きたいと思います。
 詳しくはこちらをご覧願います。
http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20060815/1155575955

 こちらのサイトの管理人さんには直接関わりのないことかと思いますが、執拗な攻撃とも受け取れる状態が続いており、度の外れたコメント内容に触発された行為とも推測されるのですが、反発を感じた投稿者が自らもしくは依頼をしての嫌がらせ、もしくは妨害という可能性もありますので、ご連絡をかねてお知らせさせて頂きます。
http://kimassi.net/cgi/yybbs/yybbs.cgi?

 上記内容をコメント投稿というかたちで、ご連絡しました。一向にやむ気配がないので、今後も続くようであれば、捜査機関に不正アクセスとして被害届を出すことを検討しております。
<net風評の操作を請け負う会社>
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2006/08/net_79e7.html#more
という例も実際にあるようですので、もうしばらくは様子を見ますが、早めに対処させて頂くことになるかもしれません。

[告訴事件]組織犯罪と法的救済について(2)

 9時40分頃に起きました。すぐに昨夜書き込みをした掲示板を見てみると見事に跡形もなく消し去られていました。
http://kimassi.net/cgi/yybbs/yybbs.cgi?
 「きまっし金沢 掲示板」というサイトです。「きまっし」とは金沢の方言ですが、「来てね」とか「おいで」という意味です。ここで私が自分のブログを紹介するコメントをいれたが、始まりでした。昨年の12月頃になると思いますが、石川県内のブログや掲示板を中心にマルチポストの投稿を行ったのです。その行為自体に問題があることは分かっていましたが、石川県民、金沢市民の方々に問題性を広めて認知してもらうために行いました。
 掲示板の設置管理者の判断で即座に削除されたようですが、そのような対応もごく当たり前のことかもしれません。和気あいあいとした雰囲気のサイトでもあり、サイトの趣旨に反する不穏な投稿と受け止められても仕方のないことです。これが、全体的な石川県民、金沢市民の反応であり、黙殺されたようなかたちで、なんら進展はしていないようです。
 一個人に対しては、なんら咎め立てをするような対応でもないと考えていますが、全体がそうであることは、市場急配センターのような普通の会社を表にした犯罪組織を増長させることにも繋がるかと、公益的観点からの問題性はあるように思われます。
 県内に住む一個人の立場から見ても、私はともかく安藤文やその家族の被害に対しても全く目を向けることなく考えようともしない姿勢は、群れから1,2匹だけ連れ去り、貪り食らう野性的な弱肉強食の世界を連想させるものです。
 羊の皮をかぶった狼が、のほほんと暮らせる地域社会ですが、私自身過去の事件がなければ全く平和そのもので日々の生活を送ることが出来ています。
 私がやってきたことに批判のむきもあるかと思いますが、全体的な流れを大きく変え、組織集団の動きを封じ込めることが出来たから、今のところ平穏無事に生活できているような気もしています。このあたりの行動理念はマキャベリ君主論にも多大の影響を受けました。

君主論 (岩波文庫)

君主論 (岩波文庫)

 特に印象に残っている部分を引用してご紹介したいところですが、エントリが全体的に長くなってしまうので、後日日を改めてエントリさせて頂きたいと思います。
 石川県というのは全国的に見ても自然災害の少ないところだと思います。金沢という知名度も全国的に高い方だと思いますが、他の都市と比較すると知名度の割りに人口も少なく、小さな町です。最近のデータではないのですが、以前金沢市は人口が40万人とか42万人になったとか聞いています。石川県内全体でも117万人程度でした。能登地方は過疎化が進み、金沢市近郊は増加傾向にあるともテレビニュースで聞いたことがあるように思います。
 私は以前長距離トラックの運転手として全国を回っていた経験があり、ある程度ですが、全国の都市の規模や土地柄の比較も把握できていると考えています。
 県民性の違いなどと評されることもありますが、同じ石川県でも地区によって違いがあり、それ以上に世代による違いも大きいかと思われます。全国的に見ても、ネットの普及もあり、これもグローバル化といえるのでしょうか、地域ごとの違いが少なくなり、均質化されているような印象もあります。
 能登地方でも今の若い人達はほぼ標準語に近く、私が同じ年頃の頃は方言や訛りが強く、金沢でも言葉の意味が通じないことがありました。今ではほとんど聞かなくなった方言もずいぶんあるように思えます。
 14年から20年ほど前の過去にいまだに向き合わなければならない身として、感慨もまたひとしおでありますが、大網周一には平成14年の初め頃、「過去のことにいつまでもこだわっていたら、シーラカンスだ」というようなことを言われました。金沢刑務所を出て日の浅い頃だったと思いますが、その頃は、ちょくちょく宇出津の松ノ湯という銭湯で顔を合わせることがありました。
 過去の問題として風化させたい、これは被告訴人らが強く希求する成り行きのようです。

[告訴事件]金沢地方検察庁への電話連絡(2006.8.15)

 13時半ぐらいでしょうか、金沢地方検察庁の方に電話を入れました。前回の電話でお盆休み過ぎに進捗状況をお伝えするため連絡をいれますと話していたのですが、以前の経験からお盆休みでも正式な祭日以外は開庁していたことを思い出し、連絡をいれたのです。
 初めに対応に出た人に、トウズカさんの名前で取り次ぎをお願いしたのですが、不在だといわれ、後ほど先方から電話を入れてもらうことになりました。仕事先以外から金沢地方検察庁に電話を入れたのはずいぶん久しぶりでした。というのも以前は夜勤の仕事が多く、平日の日中でも連絡をいれやすかったからです。
 今日はゆっくり話をしたいと考えていたので、掛け直してもらえると電話代も浮き、これは好都合でした。
 その取り次ぎで、今回も違和感を覚えることがありました。というのは、私の名前をたずねるのに、「客様、お名前は」と言われたことです。検察庁のようなお役所からお客様と言われたのは、初めてですし、時代の変化を感じました。行政サービスの一環と言うことになるのでしょうか。
 折り返し電話があったのは、10分ほどあとで、電話を切ったのはちょうど14時頃でした。15分ぐらいは話をしていたことになると思います。
 9月に入ってからもう一度連絡しますと伝えたのですが、告訴状の有効な書き方について相談をしました。考えが固まっていた告訴状の本文は短く簡潔にまとめ、具体的な内容については添付資料というかたちで提出したい旨お話ししたところ、検察の方でもその方が好都合というような返事を頂きました。また、法律の専門的論点については、記載しなくてよく、検察の方で判断すると言われ、いくらか肩の力も抜けました。
 証拠となるような資料についても、必要があればこちらからお願いするので、手間の掛からないようにして下さいとも言われました。検察で保管されているような資料であれば、特定して頂くことでこちらの方で調べますとも言われました。

 アクセスの方は少ないままです。やはり実際に検察が動きを見せない以上進展は望めないような感じです。この反応の乏しさ、関心の度合いの低さというものも実に貴重な資料としてお届けすることが出来そうです。
 先程昨夜ご紹介した「きまっし金沢 掲示板」のコメント投稿に関して、リンクを辿って「読むだけ無駄」の投稿を当ブログに行った可能性の高い、当時の投稿内容をGoogleのキャッシュから得ることが出来たので、表示した画面をそのままキャプチャした画像ファイルをgooのブログのエントリに掲載しました。
http://blog.goo.ne.jp/hirono_2005/e/5859d5557dce03390d8815fcebb12457
 1,2ヶ月前調べたときは、ヒットがあったのものキャッシュの方はまともに表示されなかったように思います。今回は「廣野秀樹」のみをキーワードで検索を掛けました。
 「水産高校中退の分際」というコメントを行った人物と「読むだけ無駄」というコメント投稿をした人物は時間的に見ても同一である可能性が高いと思います。
 まるで私のことを精神病者扱いしているわけですが、これは非常に不利益な発言であり、攻撃とも受け取れるものです。そのような解釈に至ったのは、説明が拙く不足した私自身にも問題があったのかもしれませんが、度を過ぎた断定的、暴力的な発言です。
 いずれにせよ、これも組織犯罪の二次被害の一つであり、正しい理解を得る救済の難しさを語る一資料と思われるので、ご紹介しました。
 また、私自身、相当のダメージを受け、アクセス訪問数にもそれなりの悪影響を及ぼしたと推測される事柄でもあります。正しい理解というのは、必ずしも私の言い分主張を真に受けろと言う意味ではありません。私は自分の主張を行うとともに、住所氏名を証し、利害関係者に対しても異議反論の機会も十分に与えてきたつもりでいます。

 それとトオヅカさんの方で確認をしたのですが、やはり殺人未遂でも公訴時効は殺人罪と同じ15年になるそうです。本当はやはり法律の改正で、25年に引き上げられているそうですが、旧法の適用で15年と確認しました。

[告訴事件]組織犯罪と法的救済について(3)

 時刻は19時39分になっています。連休も今日で終わりです。なんか足早に時間が過ぎ去ってしまいました。午後は買い物に出掛け、380円のTシャツ、190円の靴下2足を買いました。食品以外の買い物は滅多にしないのですが、必要に迫られました。よく眺めているとけっこう安い買い物は身近にもあるものです。
 今日は夕方からとりわけアクセスが少なくなっているようです。予定している内容は個人情報にも深く踏み込んでしまうので、なかなか取りかかることも出来なかった感じです。今日も色々ホームページを見ていて、集団ストーカーに関するブログで、その集団ストーカーの加害者は警察組織のようなことが書いてありました。実際そんなこともあるのかもしれませんが、混同されても困りますので、後日の混乱を避ける意味でも、客観的な事実を明らかにしておく必要があると判断しました。
 「組織」とか「世界平和」などという言葉を個人が使っているとそれだけで頭の正常が疑われそうです。
 以前2chの掲示板でスレッドを立てたのですが、そこでも「被害妄想の香具師」というような表現が使われていました。「マスコミ、大学が沈黙を続ける社会問題について」というスレッド名でしたけど、現在は「過去ログ倉庫」に格納されているようです。
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/soc/1131217224/l50
 「人に怪我をさせておいて、反省がない」などと福井刑務所の同囚に言われたことがありました。刑務所でも本当は同僚と書くべきみたいですけど、分かりにくいと思うので同囚と書きました。似たような印象を抱いた方は少なからずいるのかもしれません。
 私としても納得の行く裁判を受けたのであれば、そのまま服役するつもりでしたし、自分は悪くないというような主張はしていませんでした。
 担当刑事の話では1年から1年半の懲役で長くて2年、国選弁護人は5,6年の求刑と言われていましたが、実際はとんでもない悪人のように糾弾した検察官の求刑は4年で、判決もそのままでした。
 被害妄想のでたらめな人間に、弁護士が事件の記録の全てを手渡すとは常識的に考えられないはずかと思います。最近でこそ、裁判所は被害者の民事損害賠償のため、訴訟記録を閲覧、謄写する許可を与えるようになったようですが、平成9年以前というのは、被害者やその家族であっても、刑事裁判の蚊帳の外におかれたような状態であったようです。
 山口光市母子殺害事件や、弁護士の妻が逆恨みした訴訟関係者に殺害された事件があり、その遺族らの精力的な活動もあって、被害者の権利が認められるようになり状況は一変したようです。現在の裁判制度、司法を取り巻く状況が今までもずっと同じだったわけではなく、当時の社会情勢の尺度で量るべき部分もあるかと思います。
 このエントリのテーマは組織犯罪に関する問題です。責任転嫁のなすりつけだと判断されればそれまでですが、この問題の司法的解決は、そのあたりの判断の分かれ目、線引きにもなりうるものかと思います。上辺だけなぞって、模倣してもうまくはいかないかもしれないし、とんでもない責任を負わされることになるかもしれません。
 どこまでエントリや資料に目を通したのか正確には分かりませんが、ネットという公衆の面前で人を罵倒し、精神病者扱いする結論を出すだけの吟味熟読をしたとは考えにくいところであり、軽薄で上辺重視の風潮が広く蔓延している現れなのかもしれません。
 上辺重視というのも仕方のない面があり、深部に立ち入ろうとすれば、個人情報とかプライバシーの侵害にも繋がりかねないからです。その辺りの警戒感も色濃くこのブログのアクセスの少なさに反映されているような気がします。
 本当を言えば、個人情報とかプライバシーというのは一番末端のような希薄な権利と思えるのですが、至高の権利、独立した自由の象徴とでも解釈され行き渡っているのかもしれません。法がもっとも強い保護を与えているのは人の生命身体であり、公共の安全のはずです。おそらく学校でもこのあたりを教えることはないような感じがしています。
 判決の不当性や、組織犯罪の存否を書く前に、平成4年4月1日の私自身が起こした事件について説明をする必要もありそうですが、これも実際は十分とは言えないものの資料をずいぶん前から公開しているところです。近いうちに、平成3年中の事件に関する事実をまとめて記載した資料がありますので、それをエントリとして掲載しようと考えています。
 本当はどうしても公開しなければならない必要があるようなものではないはずですが、組織犯罪の実態を理解して頂くには、不可欠の資料とも言えるからです。
 ブログというのは至る所に入り口があるようなもので、初めて入ってきた人もきっかけは様々かと思われます。私がトラックバックを入れたブログからのアクセスや、たまたま検索エンジンでヒットしたリンクからアクセスすることもあるでしょう。このあたりも悩ましい問題の一つで、早めに手を打ちたいと考えてはいますが、妙案もなかなか浮かびません。なかには固定したエントリを初めに表示するサイトもあるようですが、「はてな」のブログの場合どうすれば出来るのかわからないままです。正直なところ、私はほとんど感覚だけでブログを運営しているのですが、しっかり勉強し直した方がいいとも考えています。告訴状の作成、提出を先に済ませたいという予定なので、あれもこれも同時というわけにもまいりません。
 なお、このブログの「告訴事件」というカテゴリの内容は、後日すべて印刷の上、告訴状の添付資料として金沢地方裁判所に提出する予定であり、それも前提に記述を進めています。
 そろそろ今回の目的としていた本題の記述に入りたいところですが、これまでのエントリやhttp://www.hirono-h.net/サーバ内の資料をある程度以上読んでいない方には、一足飛びの内容になるかと思います。その辺りも予めご了承願います。
 福井刑務所を出たのが平成9年1月18日の頃で、同年7月の初めには金沢市の北安江の借家に引っ越し、生活するようになりました。この借家の手配をしてくれたのも不動産の仕事をしていた大網健二でした。
 大網健二の口利きもあり、半月から20日ほどすると金沢市内高尾にある「小森建設」で仕事をするようになっていました。19歳から21歳頃まで割と頻繁に付き合いのあった長谷政男という同じ年の男が確か部長をしている会社でした。不注意で仕事中肩を痛めたことや、暗いと言われていたこともあり会社になじめず、10月頃にはやめていました。
 その9月の20日頃には、初めて直接被害者安藤文の父親である安藤健次郎さんと金沢の中心部香林坊あたりにある「アトリオ」というデパートの前で待ち合わせをして、すぐ近くにある中央公園のなかで話をしました。過去の資料のなかには当時の模様をある程度細かく書いたものもあるかもしれません。その時点で私は肩を痛めていて、医者通いの湿布のようなものを体につけていたような記憶がかすかに残っています。
 小森建設をやめたのは10月の中頃だったかもしれません。その頃より頻繁に安藤健次郎が部長をしている松任市(現在は白山市)の旭工業団地内にある西鐵工所に割と頻繁に電話を掛けるようになっていました。本当は福井刑務所を出てから半月ほどで自宅に電話を掛け、応対に出た母親が泣きながらある電話番号だけを教えてくれ、掛けた先が西鐵工所でした。
 安藤健次郎さんにはその時、話し合うことを求めて了承を受け、安藤健次郎さんの方から連絡をいれるということになったのですが、その後音沙汰はなく、金沢に出てから、再び西鐵工所に電話を掛けるようになって2,3回のやりとりで9月の20日に会うことになったのです。
 印象的だったのは、私が安田という名前を出したとき、割と大袈裟な表情の変化で興味を示し、不思議そうな顔でどういう人物なのかと尋ねたことでした。
 私が期待していた収穫はなかったのですが、「殺してやろうと思っていた」もしくは「手足をへし折ってやろうと思っていた」と過去形での言い回しを使い、心境の変化を垣間見せたことでした。私も当時は、安藤文さんに会いたい一心で、焦りすぎていました。
 10月頃から再び西鐵工所に電話をするようになり、その時々で厳しいことを言われたり、やさしい穏やかな対応をすることもあり、「電話ぐらい掛けてもよい、ただし自宅には絶対電話をするな」と言われました。
 それから定期的に、少ないときでも月に一回は電話をしていました。多いときで月に3回程度だったと思います。いずれも短い会話で、具体的な事実には踏み込もうとしませんでした。この頃であったか、もっと先であったか記憶ははっきりしませんが、「何をしようとあなたの勝手や、私は関知しない」と言われ、続けて、「再審請求が認められたら、その時は話を聞く」と力強い声で言ってくれたこともありました。
 安藤健次郎さんとの関係で前進があったのは平成11年の6月頃になってからです。このあたりは10日ぐらい前のこのブログのエントリでやや詳しく書いたように思います。
 小森建設をやめて、半月ほどぶらぶらしていましたが、大網健二の方から加田義満の会社で働かないかと誘われ、この時も大網健二の口利きのようなものがあり、11月の10日頃から加田義満の経営する配管業「加田設備工業」で仕事をするようになりました。
 働くことが決まる前、昼間大網健二と加田義満と三人で、金沢市内古府あたり、東京ストア西南部点にも近い、同じ並びの道路沿いのうどん屋で食事をしたこと、働くことが決まる少し前、加田義満は同業者の慰安会で沖縄旅行に行っていたことも覚えています。
 細かいことですが、仕事の初日は能美郡辰口町の温泉旅館の排水配管のちょっとした工事で、その翌日からはしばらく同じ辰口町にある北陸先端大学の地下ピット内の配管工事をやりました。
 私が働き始めた当時、従業員であったのは亀祐二(たぶんこんな漢字)君だけで、翌平成10年1月頃には、松本隆明君が加わりました。
 彼らのことや、やや不審な言動があったことについては、実名を伏せてありますが、2005年11月2日付の告発状に説明を書いてあります。
http://hirono-h.net/2005/data/kokuhatu_2005_11_02.html
 加田義満は福井刑務所を出た直後から、大網健二、大網周一の兄弟に同調して、さらに会社の親方として身近な立場から、私が安藤健次郎さんと接触することに強硬な反対をすると同時に、その時々で、理解を示し、やさしく話を聞いてやるような態度もとっていました。
 とにかく、過去の事件のことはきっぱりと忘れ、これからのことだけ考えろと言うのが、彼らの共通した強い説得であり、要求でもあったわけです。このようないわば強硬策だけでなく、私に新しい彼女をあてがうことにも積極的で、月に2,3回のペースで繁華街(片町)などの飲み屋に私を連れ回して
いました。籠絡懐柔を目論んでいたという感じです。飲み屋だけ2,3回でしたが、焼き肉屋等での飲み会の機会も頻繁でした。代金はすべて加田義満が支払っていましたが、1億円以上の借金をしたとか、赤字の仕事ばかりでやってゆけないとか会社の経営状態の悪さを訴えながら、飲み歩いていたわけで、もともと吝嗇家であった彼の性格とも相容れない行動が際立っていました。
 私が働き始めた頃の亀祐二君の話では、飲ましてくれるのは給料日に加田義満の家族を交え、焼き肉屋に行くだけとこぼしていました。亀君は当時25歳位だったと思います。ちょうど遊び盛りで飲みに出るのが大好きな様子でした。
 加田義満の話によると平成4年の初め頃から加田義満の元で働き始めたようです。当時彼は、金沢市内黒田町のマンションの一室に住まいしていて、すでに配管屋として独立していたものの仕事道具一切を車に積み込んだような状態で、いわば屋台のラーメン屋で、店を構えてはいないような状態でした。
 かなり不審な言動を示していたのは、松本隆明君の方でした。彼が働き始めた初日の仕事は、河北郡津幡町の工業団地あたりにあるタバコのフィルターを作る工場でした。「日本フィルター」という会社名であったかもしれません。
 私は平成3年の秋頃、市場急配センターの大型トラックで、その工場にタバコの積み込みに行ったことがあり、荷物の降ろし先は静岡県浜松市あたりでした。
 ちょうど半月から一月ほど継続していたタバコの工場の仕事が終わりかけた頃であったかもしれません。少しすると福井県武生市での大きな工場の配管工事が主になり、民宿に泊まることもありました。
 確か武生市での仕事が終わった頃に、石川県小松市の山間部にある「四肢」という言葉がついたような精神病で体も不自由な人が生活する施設の現場に行くようになりました。
 この現場には、大網周一が経営する大網商事も鳶職として工事に参加していて、大網周一とも度々顔を合わせることがありました。この現場も長くて一月ぐらい続いたように思います。
 そのあと、4月ぐらいには野々市町の「ヒマラヤゴルフ」というゴルフ用品店の新築工事をするようになりました。この現場からも何度か市場急配センターの方に電話を入れたような記憶が残っています。このゴルフ用品店の仕事が大赤字だと加田義満はこぼしていました。割と小さな仕事で、期間も半月ぐらい、他の現場とも掛け持ちでやっていたように思います。

[告訴事件]組織犯罪と法的救済について(4)

 時刻は23時56分になっています。明日から仕事ですが、水木金と3日出れば土日の休みになりそうです。でも仕事の方は忙しいようなので、もしかすると土曜日は休日出勤になるかもしれません。このところ他の勉強をしたいという迷いも少なくなっているので、継続してエントリの追加に専念できそうです。不思議なぐらい、なかなか踏み出せなかった具体的事実の記載にもようやく取りかかることが出来るようになりました。
 いささか違和感を覚えるかもしれませんが、引き続き「組織犯罪と法的救済について」というエントリ名で末尾に番号を振り付けながら事実関係の記載を続けて行きます。なるべく時系列にしたがって書く予定でいますが、脈絡をはっきりさせるため、行きつ戻りつの記述も行うかと思います。
 繰り返しになりますが、この「告訴事件」のカテゴリは次回告訴状の一資料として金沢地方裁判所に提出する予定です。本当はエントリの記載内容に即したエントリ名をつけた方がよいかとも考えたのですが、順番の前後もバラバラになり他の趣旨のエントリともごっちゃになってしまうので、内容を一本化する方向で方針を定めました。
 最新情報など事実関係の記載以外のエントリも異なるエントリ名で間に入れながら掲載することもあるかと思います。
 明日からは、午前9時から午後8時までの勤務になります。0時9分になっていますが、連休明けと言うこともあり、明日からの仕事に備え、早めに休む予定でいますが、もう少しだけ先程のエントリ(3)の続きを書いておきます。
 今回のように余り時間の取れないときは、簡単に触れておいて、後日詳しく踏み込んで書くこともあるかと思います。どのような書き方をするにせよ、自分自身が実際に体験した事実というのは、整合性が保たれるはずと考えています。
 松本隆明君ですが、知り合ってまもなく、少年時代鑑別所に入っていたことがあり、私も少年時代鑑別所に入ったことがあることを加田義満から聞いたらしく、鑑別所経験の先輩のような意味を込め、私のことをよく「アニキ」と呼んでいました。
 私の方から詳しいことは聞かなかったし、自分から話す内容も曖昧だったのですが、なにか輪姦がきっかけで鑑別所に入っていたようなことを話していました。
 本来このようなプライベートな前歴は書くべきでなく書けないのですが、加田義満だけでなく彼自身も不審な言動があり、協力して演技を行っている節が窺えました。
 彼は亀祐二君より少し若く、当時23歳であったように思います。今ははっきり思い出せなくなっているのですが、やはり亀君よりは年下であったように思います。
 自宅は金沢市内の緑団地にありました。緑団地は金沢でも一番大きいぐらいの団地で割と大きな市営か県営のマンションのような建物が建ち並んでいますが、彼の家はその一画からはずれた住宅地の一画にある民家でした。
 家の中にはいるようなことはありませんでしたが、家の前まではよく送り届けることがありました。というのも彼は軽四の車を所有していましたが、車の方はほとんど妻が使用していて、朝も送り届けてもらっていました。
 その妻の方も以前水商売などしていたらしく、松本隆明同様いかにもヤンキー上がりの風体で、ともども交友関係も広かったようです。今気がついて思い出したことなのですが、その妻の実家というのは確か東力か間明あたりにあるような話で、年齢も思い出せないのですが、松本隆明よりは年上だったような気がします。
 そのあたりも含め、被告訴人の安田繁克、多田敏明と同じ高岡中学校で年齢も近いと思い、あるいは面識や交遊もあったのかと考えたことがありました。安田繁克の家は東力、多田敏明は間明でした。この間明の隣が加田義満の自宅兼会社事務所のあった黒田一丁目です。
 松本隆明は以前、松元組という金沢市内の暴力団に所属していたことがあると話したことがありましたが、私の方から話を聞くようなことはありませんでした。水を向けて、反応を窺い何かを聞き出そうというような意図も少しその場の雰囲気で感じられたので、素知らぬ風で聞き流したのです。
 この松元組は以前浜口卓也が所属していたのと同じ暴力団です。私自身18歳の昭和58年の春頃、その暴力団事務所のなかに入ったこともありました。
 はっきりした場所など覚えていないのですが、だいたい糸田あたりで、新聞か何かでもそのような所在地を見たような記憶がありました。
 供述調書によると松平日出男は住居を「金沢市糸田新町17番8号」と申告しているようです。同じ町内に住んでいただけで暴力団事務所と関わりがあったとは考えておりませんが、車のブローカーのような仕事をしていたという関係もあり、また松平日出男自身が私に、「ヤクザでも右翼でも何でも知っている」と自慢していたぐらいなので、その組事務所とも繋がりのあった可能性までは完全に否定できないと思います。
 実際市場急配センターにいた頃は、松平日出男の家は八日市か押野あたりにあると聞いていました。複数から聞いていたのでおそらく間違いはないかと思います。それにはっきりしない記憶ですが、松平日出男が平成4年8月拘置所に面会に来て、パンツを差し入れていったとき、指印を押すために見た帳簿での住所記載は糸田ではなかったような気がして、やはり八日市であったような気がするのです。このあたりもずいぶん曖昧な記憶になっているのですが、はっきり覚えているのは、職業に「会社従業員」と記載していたことでした。
 その後、平成11年になって、松平日出男の幼なじみで市場急配センターで働いていたという一木という人と、同じ会社で仕事をするようになり、松平日出男の話もあれこれ聞くことが出来たのですが、どこかに新築の大きな家を建てたような話をしていました。
 これも記憶がはっきりしないのですが、一木さんが市場急配センターで市内配達の仕事をしていたのは2年ぐらいと聞いたように思います。実際は細かく始めた時期とやめた時期を聞いているはずで、拘置所から郵送した書面でははっきりしたことが書いてあるかと思います。
 なにか浜口卓也が原因で、居づらくなってやめたような口惜しそうな言い方をしていたのですが、不信に感じたのは、初めに市場急配センターの話をしたとき、浜口卓也の名前を出しても思い出せないような知らないような、返事に困っているような様子でしばらく考え込んでいたことです。
 そのあと急に思い出したような返事をしていましたが、そのあとの浜口卓也に関する思い出話に臨場感があり、つい1,2年前のことを忘れていたとも考えにくく、不自然に感じていました。
 浜口卓也は同じ運転手ではなく、すでに配車係の立場で、ほとんどは事務所にいたものと想像されます。であれば、面識が少なく忘れていたというのはますます不自然に思えました。