石川県警提出書面)宇出津病院への手術入院で、あらためて考えた告訴事件の再捜査の必要性と、珠洲警察署の対応の変化.md

TITLE:石川県警提出書面)宇出津病院への手術入院で、あらためて考えた告訴事件の再捜査の必要性と、珠洲警察署の対応の変化.md
CATEGORY:2017年5月提出予定の書面,珠洲警察署,石川県警察提出書面

>> 2017/06/01(木) 11:31:42 >>

 5月16日に宇出津病院に入院し、翌日の17日に大腸検査と胃カメラ検査、そして翌日の18日が手術だったと思います。退院は5月26日でした。ちょうど10日間入院していたことになるかと思います。この手術の必要性が生じたのは2009年の10月のことだったと記憶しています。

 その時も宇出津病院に入院をさせてもらったのですが、入院は5日間か長くて一週間だったと思います。通院や日常生活が困難だったので、お願いして入院させてもらったのです。体に異変が起きたのは歩いて宇出津新港の職業安定所に向かう途中のことでした。

 その前日か前々日に、旧内浦町役場の能登町庁舎で、就職支援の相談をしていました。これは前回のエントリーで、先日の入院中にスマホで投稿をしたように思います。Web版は次のエントリーです。

石川県警提出書面)観音寺橋と能登警察署の建物をかえりみて切り開く、小倉秀夫弁護士を名誉毀損で告訴し刑事処罰する必要性.md http://hirono-hideki.hatenablog.com/entry/2017/05/09/160725

 そこでも書いたと思いますが、今年の3月3日の日に、同じ旧内浦町役場の能登町庁舎に行き、庁舎内に入ることがありました。祭礼委員としての用事でした。当日の午前中のことで、春のような天候でした。午後からは、日弁連の臨時総会のことで弁護士のTwitterがにぎやかになりました。

 3月の10日すぎではなかったかと思いますが、便秘の薬がなくなったので、処方してもらうため宇出津病院に行ったのです。そこで手術の話が出たのですが、調べてもらうと前回、薬をもらいに宇出津病院に行ったのは昨年の8月とのことでした。

 手術の必要性はずっと前から考えていたのですが、自分の方からお願いするようなことはなく、その時は先生の方から、将来的にも手術をした方がよいとすすめられ、春祭りと夏祭りの間に、手術を受けることにしたのです。おかげさまで、長年の宿痾を取り除くことが出来ました。

 入院は個室ではなく集団の病室でした。手術の直後からまる一日ぐらいは、排尿のための管もつけたまま個室にいました。

 時刻は6月2日22時06分です。本を一冊読み終えたところです。

 時刻は6月3日9時21分です。土曜日の朝です。退院したのが金曜日だったので、ちょうど一週間が過ぎたところとなるようです。排便時を中心にまだ痛みがけっこうあります。傷口が化膿しないことに気を配ってきましたし、まだ油断はならないと考えています。

 手術というのは肛門の手術でした。直腸脱という診断名だったのですが、痔の手術ににもなったと言われました。羽咋市に住んでいる頃、便秘がひどく度々出血することもありました。今考えると、その時点で痔をこじらせていたのかもしれないですが、病院には全く行っていませんでした。

 排便のとき、肛門から何かが飛び出るようになり、引っ込めると楽になって普通に生活できたのですが、飛び出しにくいときは戻すのが大変で、時間も掛かりました。肛門の筋力が緩んだためとも考えられますが、手術前は、スーパーに買い物で歩いているときにも、出るようになっていました。

 一番ひどかったのが、前に触れた2009年10月のことで、午後に歩いて宇出津新港の職業安定所に向かったところ、能登町役場近くの公衆便所で、肛門から出たものが戻せなくなり、夕方になって家まで戻ったのですが、その後も戻すことが出来ず、宇出津病院に行きました。

 すぐに直腸脱だと言われましたが、テニスボールほどの大きさのものが肛門から飛び出しているとも、その場にいた看護師さんに言われていました。柔道家のような体格のよい先生で、力任せに飛び出ていたものを戻してくれましたが、麻酔などもないので、とても痛かったです。

 大腸にカメラをいれて検査をした他は、治療らしいものを受けた憶えもないのですが、前にも書いたように5日から一週間ほど宇出津新港に入院しました。たぶんその時点で、手術をしなければ、普通に仕事は出来ない体になっていたのだと思います。直すには手術しかないとは言われました。

 この宇出津病院への入院のことがあって、生活保護を受けるようになりました。折の良いタイミングで審査も通りやすくなったのだと思います。考えてみると、あれから7年半ほどになるので、ずいぶんと月日も経過したものです。すぐに手術を受けることが出来ていれば、また違ったかもしれません。

 2009年というのは、3月15日に羽咋市のアパートを完全に引き払って宇出津に戻った年です。3月15日になったのは有給を数日間使い、車の車検切れに合わせた日取りでした。

 宇出津新港の職業安定所に通い、すぐに求職活動を始めていましたが、5月の初めから3ヶ月間、珠洲市飯田町にパソコンの職業訓練に通いました。表計算ワープロの2級に合格が出来たので成果がありました。珠洲へはバスで通っていました。

 バスに乗って合格証を取りに行ったのは8月の20日を過ぎていたかと思います。これでバスで珠洲まで通うこともないだろうと思っていたところ、それから一週間ほどして母親が脳出血で、珠洲市総合病院に入院するようになりました。8月31日の朝のことです。

 これから本格的に仕事を探そうと思っていた矢先のことでした。それから翌年1月の20日過ぎだったと思いますが、旧柳田村上町の現在の病院に転院するまでは、週に1回ぐらいのペースで、珠洲に通いました。バス代は片道千円弱でした。

 時刻は6月4日9時50分です。なかなか筆が進みませんが、熟考を重ねています。宇出津病院への入院直前からいろいろあって、記録とご紹介の必要性を考えていることも多々あるのですが、長年の懸案事項にからみ、ちょうどよいタイミング、機会とも考えてきました。

墜落:4人乗り機、山中に 2人意識不明か 富山・立山連峰 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20170604/ddm/041/040/057000c

 昨日の午後からだったと思いますが、上記のテレビニュースがあります。最新の情報では、二人は命に別状はないとのことですが、怪我の程度などはわかっていないようです。昨日の夕方の時点で遭難者から連絡がありながら、濃霧のため捜索を打ち切ったという報道もありました。

 ちょうど宇出津病院への入院前にも似たような墜落事故のニュースがありました。

LR2は15日午前11時47分ごろ、函館市函館空港西方約30キロを飛行中、レーダーから消え、管制官との連絡が途絶えた。

 北海道知事の災害派遣要請に基づき、同23分に札幌市の丘珠(おかだま)空港を離陸。同50分に函館空港に着陸し、函館市内の病院に入院していた患者や医師、付添人を乗せて丘珠空港に戻る予定だった。

不明の自衛隊機か、機体発見 北海道北斗市の山中、1800人態勢で捜索 - 産経ニュース http://www.sankei.com/affairs/news/170516/afr1705160012-n1.html

 いずれも天候の急変による視界不良が事故の原因ではないかと考えられるのですが、情報収集、状況分析の重要性が、生死に直結するのだと思いました。医療過誤にも通じるところがあると思うとともに、そのあとやたらと目にすることになった「痴漢冤罪」についても考えさせられます。

 今朝は、起きる前に、松波が出てくる夢を見ていました。夢と言っても夢らしくはないもので、普段起きているときの思考の延長のようなもので、過去を振り返りながら考えていました。ここでいう松波とは、旧珠洲郡内浦町の役場もあった松波のことです。

 夢現のなかで、改めて思い出したのは、昭和50年代前半、私が能都中学校の1年生の頃、一つ年上の松波中学校の相撲部員で、大会の優勝候補とも話題になっていた人のことです。名前は今でも憶えていますが、ここに書くようなことはしません。

 松波には、相撲大会で行ったこともあったのですが、山の上の庭園のような場所にある相撲場だったということを記憶にしながら、現在の松波のどの辺りかは確認していません。松波駅の近くだったように憶えています。城址公園のような場所があるらしいこともわかっています。

 その松波中学校の相撲部の有力選手だった人が、関越自動車の沼田インター付近の陸橋の上から飛び降り自殺をしたと聞きました。私にその話をしたのは、同じ金沢市場輸送で社員として運転手をしていたKOです。彼も同じ旧内浦町新保の出身でしたが、小木中学校に通ったと聞いたように思います。

 本来、新保の辺りというのは、松波中学校に通うことが多いとも聞いたことがありますが、彼は小木中学校に通ったと話していたように思います。中学校を出てからすぐに、小木港の遠洋漁船に乗っていたとも話していました。

 金沢市場輸送で運転手をするようになったのは、小木港の遠洋漁船の仕事をやめてからのことで、昭和59年の終わりから昭和60年の春ではないかと思われます。私がやめた昭和59年10月の時点では姿はなく、そのすぐあとに入社というような話は聞いた憶えがあります。

 金沢市場輸送で関越自動車を頻繁に通行するようになったのは、茨城県古河市の山三青果の仕事を始めてからだったと思います。山三青果の仕事が本格的に始まったのは、平成2年の12月に入ってからだったと思います。翌年の平成3年1月には、5台の大型ウィング車が納車されました。

 私が大型ウィング車に乗務したのは、平成3年1月17日の朝のことで、その日のことをよく憶えているのは、朝、会社のテレビで湾岸戦争が始まったというニュースを見ていたからです。

 なお、この山三青果の仕事は、金沢市場輸送の運転手でやる定期便となりましたが、イワシの運搬の仕事と同じく、請負は市場急配センターということになっていました。税金対策という話は聞いていましたが、具体的な利点などは話題になっていなかったと思います。

 平成2年12月の時点では、まだ定期便という感じにはなっていなかったと思いますが、しばらくすると本格的な定期便となり、関東への行き荷は、日通高柳支店から埼玉県岩槻市と千葉県千葉市の2ヶ所降ろし、それとトナミ運輸で、栃木県宇都宮市という2つの定期便が始まりました。

 日通やトナミ運輸の定期便というのは、他に福岡県や仙台市への定期便がありました。富山県内や小松市の支店からも荷物を積む仕事があったので、細かい違いはよく憶えていません。

 時刻は11時14分です。11時10分頃にアマゾンで注文していたプリンターが届きました。コンビニ払いで9903円でしたが、スキャナーやコピーも出来る複合機で、DVDのレーベル印刷が出来ることが一番の目的でした。

 時刻は6月5日8時00分です。昨日は、プリンターが届いてから中断したままになっていました。複合機のプリンターを買ったのも今回が初めてでしたが、目的とした機能が使えることは確認しました。DVDのレーベル印刷も出来るようになったので、データの保存に役立ちそうです。

 松波について書いていたところ中断になりましたが、その続きは別の機会にしたいと思います。エントリーのタイトルに即した内容をなるべく簡潔にまとめる、これを旨にしたいところです。

 宇出津病院での手術、入院生活で感じたこと、考えたことは多々ありますが、まず健康寿命について真剣に考える機会となりました。真っ先に頭に浮かんだのも被害者安藤文さんの父親である安藤健次郎さんのことです。

 供述調書などで安藤健次郎さんの生年月日はずっと前から知っていますが、確か昭和11年生まれで、誕生日は12月25日ではなかったかと思います。これまでにも思い出すにつれ何度も計算してきたことですが、改めて計算をすると、現在80歳、今年の誕生日で81歳となるはずです。

 娘の安藤文さんは、昭和45年8月15日生まれなので、8月の誕生日で47歳になると確認しました。車の運転は不可能でテレビを見るのもままならない、外を歩くのも付き添いが必要という後遺症の程度が、被告訴人長谷川紘之弁護士の訴状に記載されていたかと思いますが、回復の程度は不明です。

 母親の安藤紀世さんも供述調書に生年月日の記載があったので見た憶えがあります。正確なことは記憶にないですが、安藤健次郎さんと年齢が変わらないらしいという印象を受けたことは憶えています。

 いずれも現在の私には生存すらわかっていません。なんとかスタートラインに、というのがこの書面の目的でもあります。その前のスタートラインは平成4年4月になります。石川県警察の捜査に誤りがあり、それを被告訴人ら弁護士らが、最大限悪用した事実を紐解かなければなりません。

 結論から言いますと、被疑者と警察との関係性を歪め、遠ざけてきた刑事弁護の伝統的な歴史があって、その問題性を一般論と、私が経験した具体的な事実に当てはめながら、多角的な指摘を行う必要性を感じています。

 料理には素材が重要だと思いますが、これはと思う素材を、いくつか宇出津病院での入退院に前後して、確保しています。一つは藤井美濃加茂市長事件の上告審に関するもの、もう一つは、袴田事件に関するもの、前後にまたがり多くの論点を含むものが三浦義隆弁護士のブログのことです。

 上記のツイートですが、入院前の5月15日頃に見たものと思っていたのですが、探し出すと17日となっていました。手術があったのが18日だったので、少し勘違いをして記憶していたのかもしれません。なお、入院中は、スマホでのみインターネットに接続していました。

 郷原信郎弁護士のタイムラインで確認したところ、美濃加茂市長事件上告審に関した郷原信郎弁護士のツイートの投稿は5月15日となっていました。しかし、タイムラインのツイートの日付は5月14日となっていて、マウスポインターのポップアップで、15日7時46分と表示されています。

  • ツイート:uwaaaa(サイ太):2017/06/05 10:32: https://twitter.com/uwaaaa/status/871540289818644480

    ノースライム先生が復活したと思ったら意識高いツイートを連発していて,中の人が変わったんじゃないか説

 上記はタイムラインで、10分前から11分前などと表示されている刑裁サイ太のツイートで、APIで取得したデータに間違いはなさそうです。郷原信郎弁護士のタイムラインと同じアカウントでログインした状態です。

 これまでに何度も指摘してきたことで、データベースにも一部間違いが残っている、と思うのですが、Twitterのツイートの時刻は、日本時間として正しく取得が出来ないことがあります。

 これはTwitterAPIの仕様変更でも影響を受けうるもので、早めの対応のための確認も必要なのですが、確認したところデータベースに登録した日時に問題はなさそうでした。

 これも今現在、APIで取得したデータから「"#{(tweet.created_at + (60 * 60 * 9)).strftime(“%Y/%m/%d %H:%M”)}“」という加工処理を行った上で、データベースに登録しています。

 あらためて確認すると、TwitterAPIで取得した投稿日時は、世界標準時刻となっているようです。それに9時間プラスしたものが日本時間になります。プログラムの世界ではありがちな問題です。

 Twitterは、ログインしていない状態でも表示される時刻が変わってきます。20分前などとなっていれば、相対的な違いはないのですが、ポップアップされる詳細時刻を含め、さきほど確認したところ、やはり日本時刻からは16時間遅れとなっていました。

 さきほどの郷原信郎弁護士のツイートがタイムラインで5月14日として表示されていた問題ですが、この表示は日本時間での表示ではなさそうです。今まで気が付かなかった盲点かもしれません。

 5月18日となっていますが、郷原信郎弁護士が自分のブログのエントリーを紹介したツイートです。

美濃加茂市長事件、弁護団は、なぜ“再逆転無罪”を確信するのか | 郷原信郎が斬る http://bit.ly/2qQHC37

 上記のブログのエントリーも投稿日が5月18日となっていて、日付の部分にマウスポインターを合わせると、ポップアップで「2:40 PM」と表示されました。午後2時40分ということのようです。

 手術は前日の説明で、18日の14時からと聞いていたので、その時間は、ちょうど全身麻酔で意識を失った状態になっていたことが考えられます。手術後には一度、呼びかけで起こされ、個室の病室へとベッドのまま運び込まれたことを憶えています。

 目がさめて時計を見たのが夜中の1時で、それからずっと眠れずにいました。午後には集団の部屋に戻されたように思いますが、こまかい時間は思い出せなくなっています。いずれにせよ、手術後の早い段階で、郷原信郎弁護士のブログ記事を目にした可能性が高いです。前後に跨っていたとは意外でした。

 この続きは別のエントリーで書くことにしたいと思いますが、郷原信郎弁護士の刑事弁護には、市民と警察の関係性において、非常に考えさせられる問題が含まれており、警察の対応としても転ばぬ先の杖として参考になるところが大きいと考えています。

 時刻は6月7日9時30分です。昨日は、午後に小木港の東一文字堤防に行きアジ釣りをしていました。最近の傾向として日中はほとんど釣れないとは聞いていたのですが、ようやくアジが釣れだしたのは17時48分頃になっていました。退院後初めての釣りでしたが、思った以上に体に負担がありました。

 バッカンという水汲みバケツに海水を入れ、その海水でタオルを洗って、傷口を拭いたのですが、これがとんでもない痛いことになりました。その痛みは夜中まで続きました。

 今朝は傷口の状態も安定していますが、排便の後、トイレットペーパーには薄い水彩画の絵の具のような血が滲み出ていました。土曜日に輪島市民まつりの花火大会を見に行こうか迷ったのですが、行かなくて良かった、行っていれば傷口をずいぶん悪化させていたかもしれないと考えました。

 ちょっとしたことでとんでもない刺激を受けるのも傷口だと痛感しましたが、海水で洗ったことで、そのあと縫合した糸をきつく締め上げられるような痛みを感じました。傷口と海水の関係というのは、想像を超えてすごいものでした。

 なぜ手術の傷口を海水で拭こうと思ったかというと、子供の頃に、傷口には海水が一番で、治りが早いと聞いていたからです。汲み上げた海水に海面のゴミ、雑菌が多くて、それが悪かったのかもしれません。昨日は、ゴミのような流れ藻が多くて、魚釣りもしづらい時間が長かったです。

 傷口に塩を塗り込むという表現もありますが、そういうことについてもあらためて考える機会となりました。最近の消毒液は不思議なくらい患部がほとんどしみず、それで傷口がほとんど治りかけているという錯覚もあったようです。

 そういうこともあったので、ちょうど8時頃に、ジャーナリストの江川紹子さんを次回エントリーのメインに据えることにしました。想像力と洞察力の世界の問題とも考えていますが、私自身の、経験と立場に照らして、書いておきたいこと、指摘しておきたいことがいろいろとありました。

 上記のツイートで、5月29日だったと確認しました。宇出津病院を退院したのが5月26日だったので、3日後ぐらいに電話をしたことになります。来月の10日前には、珠洲警察署に行って直接、お話をしたいと伝えたのですが、思いの外、傷口の治りに時間がかかっています。

 明日か明後日ぐらいに電話を入れ、もう少し延期をしたい旨、お伝えしようとも考えています。大きな出血はだいぶん前からなくなっているので、大きく傷口が開くようなことはないと思いますが、来月のあばれ祭りまでには、完治をさせておきたいので無理は禁物だと思いました。

(おしりの悩み) 直腸脱Q&A   くるめ病院 肛門科 http://www.uproad.ne.jp/kurume/shinnryou/chokudatu.html

 自分の場合、痔も切っているので、完全な直腸脱ではなさそうですが、調べた上記のページによると入院期間は1〜2週間となっていました。10日で退院しているので入院期間は平均的だったようです。家にシャワーがあれば、もっと早く回復しているとも考えるのですが、よくなっていることは確かです。

 珠洲警察署の担当者の名前をまた忘れてしまったのですが、新年度に後任となった人で、電話で話したのは2度目でした、前任の担当者は一度もお会いすることがなく電話で話しただけでした。

 前任の担当者を含め、これまで何度もTwitterを見て欲しいと話してあったのですが、前任の担当者の時は、時間があればとか曖昧な返事でした。それでも書面を受け付けると言ってくれたので、長い経過の中で、それは大きな進展でした。

 前回の電話では、Twitterを見る必要性について尋ねられ、全てを書面にして提出することには無理があり、警察の負担も大きいと考えるので、全体に目を通して対応していただきたい、などと要望を伝えました。

 そのあとで、Twitterのアカウントについて尋ねられたので、kk_hironoであり、Twitterの仕組み上、このアカウント名で検索すればすぐに情報が見つかるはずとお話しました。

 私と石川県警察の関係性というのは、福井刑務所を満期出所したあとの平成9年から継続しています。福井刑務所に服役中にも刑事告訴刑事告発をしており、県警本部の山岸という警部補が、福井刑務所に来て、調書を作成したということもありました。

 その後、山岸という警部補は殉職したと聞きました。福井刑務所を出て早い時期、金沢中警察署に相談に行ったとき、名前を出すと、応対していた上司という感じの警察官が、急にあらたまったような口調になって、「殉職されました。」と言い出したのです。沈痛な訴えにも感じました。

 とにかく、個人と警察との関係性について、大きな存在感と社会的影響を与えてきたと目するのがジャーナリストの江川紹子さんです。次のエントリーに作業を移したいと思います。

<< 2017/06/07(水) 10:40:24 <<