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春の大型連休中の深澤諭史弁護士のタイムラインを遡り破格の衝撃を受け、衝動的に検索を実行した華岡青洲の妻のこと。神仏と歴史について考えさせられた機会。.md

TITLE:春の大型連休中の深澤諭史弁護士のタイムラインを遡り破格の衝撃を受け、衝動的に検索を実行した華岡青洲の妻のこと。神仏と歴史について考えさせられた機会。.md
CATEGORY:2017年5月提出予定の書面,珠洲警察署,石川県警察提出書面,深澤諭史弁護士,犯罪被害者

>> 2017/05/07(日) 21:21:53 >>

石川県警提出書面)高島章弁護士が唱える「仰天の理屈」と木梨松嗣弁護士に悪用された山口成良金沢大学教授の精神鑑定という刑法の世界・七尾市の精神病院.md http://hirono-hideki.hatenablog.com/entry/2017/05/06/202022

 作成は上記エントリーの続きになります。たまたまになりますが、上記エントリーで書いた内容の続きというか、接ぎ木になるような部分もあるかと思います。全体としては広範すぎるので、かなり絞り込みも掛けなければなりません。どうなるかは書いてみてのことです。

2017年05月07日10時37分50秒/記録資料/小倉秀夫>  未だ差別が解消されていない以上、憲法を変えて、差別を正当化すべきと?RT https://www.youtube.com/watch?v=aSoWlVOlBJU

2017年05月07日19時57分09秒/記録資料/4月27日まで遡ることになった深澤諭史弁護士のタイムラインの記録・永久保存版 https://www.youtube.com/watch?v=ZDCOYtHTwUk

 本日は、上記2件のスクリーンキャストの動画を、記録作成を講ずべきものとして保存、YouTubeに動画公開しました。2件目の深澤諭史弁護士のものは、内容に目を通しながら記録をしていると、予定外に長くなり、タイトルにあるように4月27日まで遡りました。

 深澤諭史弁護士のTwitterタイムラインについては、前回次の記録動画を同じく作成、公開していましたが、それともつながり、さらにもう少し遡ることがありました。削除されていない限り同じツイートの並びですが、リツイートの数などに変化があった可能性はあります。同じ情報ではありません。

2017年04月30日18時12分26秒/記録資料/深澤諭史さんがリツイート> Kay> 依頼者の利益のためであれば弁護士がどれだけ相手方に対して残酷になれるか知らない人は多い。 https://www.youtube.com/watch?v=qi1BTx2zpQo

2017年05月02日17時06分06秒/記録資料/2017/04/29 20:38から2017/04/30 17:41の間、更新がなかった深澤諭史弁護士のタイムライン https://www.youtube.com/watch?v=pnxwZ2u-8yo

 2017年05月02日17時06分06秒の記録のものは、珍しく長い時間、深澤諭史弁護士のタイムラインに更新がなかったので、何か大きな心境の変化でもあったのかとも考え、大きな節目になるかもしれないと考え、記録保存をしたものでした。

 その後、深澤諭史弁護士のタイムラインで更新がありました。リツイートが連続することも深澤諭史弁護士のタイムラインではよくあることですが、そこでリツイートとしても看過し難く、記録として保存したのが、2017年04月30日18時12分26秒のものです。

 本当は前々回の次の刑裁サイ太をメインにしたエントリーを作成する前に、取り上げるつもりでいたものです。

石川県警提出書面)「板倉宏先生の訃報に接し,心から哀悼の意を表します。」という刑裁サイ太にみる、弁護士脳の社会汚染と憲法上の権利侵害の本質.md http://hirono-hideki.hatenablog.com/entry/2017/05/03/081016

 どれかのエントリーで書いたまま尻切れとなっていたと思いますが、深澤諭史弁護士の司法修習は63期だったと調べだすことが出来ました。その調べる作業の過程で、とても考えさせられるツイートを発見していました。見覚えがあったものですが、神仏に関わるようなものです。

 どういう経緯、シチュエーションで見つけたツイートだったのか思い出せなかったので「mysql-REGEXP.rb fukazawas “仏に” –regexp_stime=a」というコマンド操作で探し出しました。次のツイートかと思います。

  • ツイート:fukazawas(深澤諭史):2017/02/21 12:03: https://twitter.com/fukazawas/status/833874767568515073

    @Jakotsunya @sakanauranai 成仏理論が普及している業界なのに,なぜ,仏になれといわれながら,修羅の道を歩かされるのだろうか・・・。 その謎を解くため,我々は,モリハ●に向かった。

 上記のツイートを改めてみると、よくある深澤諭史弁護士自身の過去のツイートのリツイートではなく、新規のツイートと思われるもので、それも今年の2月21日という比較的最近のものでした。よく似た内容のものは、だいぶん前からたびたび見かけていました。

 時刻は22時49分です。いったん、先に進めることにします。一部引用する次の記事の、引用した部分が、本日の大きな発見と思えるものでしたが、たぶん以前にも知ったことのある話ではないかとも思いました。深澤諭史弁護士がきっかけとなった発見です。

世界初の麻酔は江戸時代の華岡青洲! 妻と母を犠牲にして進んだ医術の道…… - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) http://bushoojapan.com/tomorrow/2015/10/13/60996

最終的に、青洲の母と妻が自ら実験台になることを申し出て、麻酔の効果を確かめることができたのですが……母は死亡、妻は失明という悲しい結果の元に得られた実証でした。

 華岡青洲についても、平成11年に2度目の拘置所生活をするようになってから、官本で知ったのが最初であったように思います。時期的にもっとはっきり記憶にあるのは、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」という本でした。それも江戸時代末期の医師を主役にした物語でした。

 司馬遼太郎の本というのは拘置所や刑務所の官本で何冊か読み、どれも読みやすくとても面白いと感じていたのですが、感情移入や創作性が強すぎるようにも思え、歴史の事実とは割り切って考える身構えのようなものも、自然と身についていました。

 調べて確認していませんが、胡蝶の夢という本は4巻になっていたと思います。そのうち2巻だけその場にあって読むことが出来ました。韃靼疾風録という本も、上下巻があって、どちらか一冊しか読むことが出来ませんでした。

 拘置所の官本は、職員が廊下を本棚を押して歩き、本を選ばせるシステムでしたが、中身を確認して選ぶということは出来ず、本のタイトルの部分だけを見て、本を選んでいました。

 「胡蝶の夢」というタイトルは、まず中国の歴史における辺境の異民族、匈奴女真族を連想させるものでした。胡という文字にその意味があったはずです。他に、同じく中国の歴史の思想家、荘子にも似たような言葉があったはずです。

 荘子の本は小型の文庫本のようなものを4冊、購入して読んだことがありました。印象に残ったのは人としての「もちまえ」という言葉でした。人としての基本とも思えるような言葉でしたが、そのような儒教的な価値観とは、荘子の思想は対極と思えるところがありました。

 拘置所や刑務所では時間もあっていろいろと本を読むことが出来ました。社会で自由な生活をしていると、いくらでも好きな本を探して読むことが出来ますが、インターネットも便利すぎて、腰を据えて活字の本を読もうという気は、いまだに起きません。

 そのような書物による知見や価値観を、吹き飛ばしてくれたのも、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士、深澤諭史弁護士という3人の弁護士です。3人とも神がかっているように思えてきた人物ですが、今夜はその謎が少しだけ解けたような発見もありました。

 @Bibendum65 (仙猫カリン@ラグビー1列目)、というアカウントのツイートを深澤諭史弁護士がリツイートしたものとなっています。あとで確認することが出来たのですが、モトケンこと矢部善朗弁護士と深澤諭史弁護士のタイムラインで見たものも同じアカウントのツイートでした。

 初めに見たのがモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインで、これは深澤諭史弁護士が喜び勇んでリツイートしないはずはないと考えたところ、やはり深澤諭史弁護士のタイムラインでリツイートとして見ることが出来ました。なかなか考えさせられる内容でした。

  • リツイート:motoken_tw(モトケン)>2017/05/07 15:12/2017/05/07 12:19> https://twitter.com/motoken_tw/status/861101308714942464
    Bibendum65 (仙猫カリン@ラグビー1列目)> https://twitter.com/Bibendum65/status/861057864164458497

    医療にしても法務にしても早期発見早期治療が大事なわけで、瀕死になってから相談にこられても、手段は限られている、費用はかかる、副作用強いってことも少なくないわけで、専門家的には「ここで死ななければ御の字」って思っていても、依頼者の側で完全回復するとか思われていると辛いね

 時刻は23時27分となっています。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインでは、その後、一つのモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)本人の次のツイートが一つ更新されただけになっています。

 次のツイートのURLを引用したモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートとなっていました。法律の素人の人だと思いますが、なかなか考えさせられる内容となっており、それにモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)が反応したのも興味深い現象の一つです。

  • ツイート:saborin_masa(さぼりーまさ):2017/05/07 17:57: https://twitter.com/saborin_masa/status/861142874045300736

    それを言ったら、弁護士は十分な準備時間も資料もあるのだから、敗訴しちゃダメだ、ってことになりますよねぇ? でも、常に依頼人の希望通りの結果にはならないですよね? 実際、大逆転敗訴して、弁護士資格返した人なんか、居るのかな? https://t.co/VA8Xss7KBz

 懲戒請求での退会命令などを別にして、弁護士資格を返上したという話はまったく聞いたことがないです。罰金刑ではない禁錮か懲役以上の有罪判決を受けた場合、執行猶予でも弁護士資格を失うという話は、見たことがあるかと思いますが、かろうじて罰金刑になったのも安田好弘弁護士でした。

 弁護士の懲戒処分では除名が退会命令より厳しかったと思います。気になるところがあったので、調べたところ次の情報が見つかりました。日弁連のホームページとなっているので、信用性は高そうですが、説明が十分ではないという気もしました。3年となっていますが、5年かと思っていました。

日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations:懲戒制度 https://www.nichibenren.or.jp/jfba_info/autonomy/chokai.html

弁護士に対する懲戒の種類は、次の4つです(同法57条1項)。

戒告(弁護士に反省を求め、戒める処分です) 2年以内の業務停止(弁護士業務を行うことを禁止する処分です) 退会命令(弁護士たる身分を失い、弁護士としての活動はできなくなりますが、弁護士となる資格は失いません) 除名(弁護士たる身分を失い、弁護士としての活動ができなくなるだけでなく、3年間は弁護士となる資格も失います)

 退会命令の「弁護士となる資格は失いません」とあるのが、普通に理解し難い説明だと思いましたが、以前、所属していた弁護士会から強制的に退会させられるだけで、他に受け入れてくれる弁護士会があれば、弁護士としての活動は出来るが、事実上は無理、と見た情報がありました。

 「医療にしても法務にしても早期発見早期治療が大事なわけで、瀕死になってから相談にこられても、」というモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のリツイートは、2017/05/07 15:12という時刻のリツイートとなっていました。

 時刻は5月8日11時50分になっています。7時前に起きていました。すぐに再開するつもりだったのですが、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートにも気になるものが出てきて、さらに深澤諭史弁護士のタイムラインも目を見張るものが出てきました。

2017年05月07日19時57分09秒/記録資料/4月27日まで遡ることになった深澤諭史弁護士のタイムラインの記録・永久保存版 https://www.youtube.com/watch?v=ZDCOYtHTwUk

 予定では上記に記録したタイムラインを遡りながらご説明を交えた検証と記録をする予定でいたのですが、もっとすごいかもというものが出てきたので、とりあえず予定を変更します。

 もう一つの柱として取り上げる予定だったのは、華岡青洲の妻のことですが、検索を実行してすぐ、意外な情報がみつかりました。初めて知ったと思ったのですが、華岡青洲の妻、というのは本のタイトルだったようです。その作者の名前を見て、少し不思議な縁のようなものを感じました。

 「華岡青洲の妻 (新潮文庫) | 有吉 佐和子 |本 | 通販 | Amazon」という本です。URLがエンコードを含み長すぎ、短縮URLの取得もできなかったのでタイトルのみのご紹介にします。

 有吉佐和子という人の作品です。ただの小説家なのか知りませんが、著名な作家で、官本にもその名前を見かけていました。以前、ネットで調べて顔写真なども見たように思いますが、だいぶん前のことでもあり、プロフィールの内容なども忘れてしまいました。

 前回のエントリーで、平成5年9月7日に被告訴人小島裕史裁判長の控訴審判決を受け、その不満から金沢刑務所で問題を起こし、保護房に入れられ革手錠をつけられたことを書きました。昨日に書いたように思います。

 保護房に入れられたのが12時ぐらいで、革手錠を外されたのが翌々日の13時頃、革手錠を外されてからも丸一日ぐらい保護房に収容されて、午後に出され、すぐに風呂に入れさせてもらいました。あれだけ気持ちよく入浴したというのも珍しい経験として記憶に残っています。

 それから拘置舎のもといた2階に戻されたのですが、担当台に最も近い201号室に入られました。そこは普通の部屋ではなく突起物のない部屋とも呼ばれたもので、要するに自殺防止の特別室です。監視カメラもついていたと思います。

 こういう話もこれまで何度か書いているはずで、もっと細かいことを憶えていましたが、今は思い出すのも困難で時間も掛かるので、大雑把に書きます。その自殺防止の舎房には2週間ぐらいいたように思います。その間に懲罰審査があり、25日間の懲罰となって、別の部屋に移され懲罰を受けました。

 懲罰と言っても食事や入浴の制限などを別にすれば、軽屏禁と言って、仮就寝までの時間、房内で正座か安座を繰り返すものでした。用便も刑務官の許可がいります。仮就寝の時間というのは季節によって違いますが、真冬の早い時間でも17時半ではなかったかと思います。

 この懲罰の間は、本も筆記用具も引き上げられるので、読書も手紙を書くことも出来ません。何もすることがないのですが、仮就寝になると21時の就寝まで、隣の舎房などからかすかにラジオ放送が聞こえたので、それが少しの息抜きでした。

 懲罰が明けたのは10月の中頃だったと思います。季節もすっかり秋になっていました。ただでさえ不自由に感じる拘置所の独居房の生活でしたが、懲罰明けとなると、読書も書き物をすることも出来るので、解放感も大きく感じました。

 それから集中して、上告審に向けた上申書の作成に取り掛かりました。私は上告審も木梨松嗣弁護士に引き受けて貰おうと、何度も手紙を出し、カーボン紙で写しを作成した上申書も郵送していたように記憶しています。

 昨日も書いたように、9月7日の判決が出る前から木梨松嗣弁護士は連絡に一切応じていませんでした。その前回の公判というのが、これも昨日書いた山口成良金沢大学教授が証人尋問を受けた公判です。この公判には、安藤健次郎さんと、横に座って俯き加減にすすり泣きを続ける女性の姿がありました。

 普通に考えて被害者安藤文さんの母親に間違いないと思いました。安藤健次郎さんが公判に傍聴に来ていたのは、これが最初ではなく、公判の回数自体が多くはなかったですが、ほぼ毎回姿があったような気もしますし、被告訴人大網健二がいるときは、姿がなかったような気もします。

 昨年の告訴状にも書いたと思いますが、控訴審の初公判は裁判長が小島裕史裁判長ではなく、浜田武律という裁判長でした。戦国武将のような名前ですが、見た感じも武田信玄をほうふつとさせるような雰囲気がありました。小柄のがっしりした体型にも見え、頑固そうにも物分りがよさそうにも見えました。

 私の顔を見ながら驚いた様子で、「心神喪失なら無罪じゃないか」などと口にしていました。ほかの裁判のことなど知識も経験もなかったですが、こういう発言をするのもずいぶん異例のことと感じました。

 初公判があったのが9月の中頃かもしれません。一審の判決が8月3日なので、それでもずいぶん長く感じていましたが、初公判まで異例に早かったように思います。あるいは10月に入ってからが初公判だったのかも知れません。

 とにかく初公判が浜田武律裁判長で、次回の公判が交代した被告訴人小島裕史裁判長となっていました。公判の間は一ヶ月ぐらいだったと思います。この2回目の公判の時に、初めて傍聴席に安藤健次郎さんの姿を見たのです。次男と思われる安藤文さんの兄の姿もありました。

 これも普通に考えて兄に間違いないと思っているのですが、どちらも初めて見る顔でした。父親の安藤健次郎さんはひと目見て、安藤文さんによく似ていると思いました。

 公判が終わって退廷する時に、その安藤文さんの兄が「お前、反省しとるんか」などと大声をあげて暴れだしたのです。すぐに隣の父親が飛びついて止めに入った様子までは目にしたのですが、私の方も隣にいた刑務官らに抱え込まれ、急いで外に連れ出されたのです。

 歴史の解説などで、ここが何とかポイントなどと出てくることがありますが、この出来事は私の木梨松嗣弁護士に対する認識にも大きな影響を与えました。と言うのも、この次の公判から私は、弁護人の机の前に長椅子をおいて座らせられるようになったからです。

 テレビのドラマなど見ていても、ずっと前から弁護人の机の前に被告人が座るというのは普通になっているように思います。しかし、金沢地方裁判所の平成4年6月18日、6月30日の公判、8月3日の判決公判、そして控訴審の初公判と2回目の公判は、すべて傍聴席の前で長椅子に座らされていました。

 法廷の様子というのはドラマでも大きな裁判のニュース報道でも見ることが普通にあると思いますが、被告人が傍聴席の前に座った場合、振り向かないと傍聴席の様子は見えません。長椅子の左右には刑務官がいます。刑務官の注意はないかもしれないですが、後を振り向くというのも不格好です。

 金沢地方裁判所の一審の3回の公判の全てと、控訴審の初公判で傍聴席の前に座らされていたことは書きましたが、その全てに安藤健次郎さんや家族と思われる人の姿はありませんでした。

 公判中は後を振り返ることもしなかったと思いますが、法廷に入って着席する前と、公判が終わった直後に退廷する時は、横を向いて歩くので、十分に傍聴席を見渡すことが出来ました。いずれの公判も傍聴席の人の数は少なかったです。

 金沢地方裁判所の一審の公判では、一度だけ、安藤文さんの女友達と思われる女性の姿がありました。複雑な表情で私の顔を見ていました。立ち上がった状態で目を合わせていたという場面が記憶にあるので、退廷するときだと思います。不思議なことにどの公判だったのか記憶にありません。

 時刻は14時03分になっています。8番の餃子を焼いて昼食をしていました。食事は台所で立ったまま済ませることも多いです。そういう食事をしながら思い出したことがあります。昨年の告訴状に書き忘れていたかも知れず、あるいは書いているかも知れません。

志雄町 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E9%9B%84%E7%94%BA

 まず志雄町という地名のことを思い出しました。なんとなくだいたいのことが頭に浮かぶことはたびたびありましたが、そう言えばテレビでも志雄町という地名を全く聞かなくなって久しいと思い、調べてみると、押水町と志雄町が合併して宝達志水町になったことがわかりました。

 この志雄町かあるいは高松町なのですが、そこの出身という司法修習生が木梨松嗣弁護士の接見に同伴していたことがありました。既に司法修習を終えて弁護士になるとか、弁護士になったという話であったかもしれません。数日後の北國新聞にその若い弁護士のことが出ていました。

 司法修習生であれば、新聞の記事になることもなかったと思われます。少なくとも弁護士になることが決まって、故郷に錦を飾るような意味と地元の期待もあって、記事になっていたのかと思います。そういえば、このところも全くに近く新聞を開かなくなっています。

 新聞に弁護士の名前を見ることもなくなって久しいと思いましたが、弁護士の数というのは平成4年当時より倍から倍以上に増えているはずかと思います。新聞に弁護士の名前を見ないのもいつの間にか当たり前のように思っていました。金沢弁護士会のことです。

 木梨松嗣弁護士がその若い弁護士を同伴させたとき、初めに軽い紹介をして同席の許可も軽く確認をしていたように思います。季節は秋だったように思います。平成5年になってからは、1月か2月中に1回、4月か5月中に1回の2回だけの接見だったように思います。間に精神鑑定を挟んでのことです。

 思い出した時に思い出したことを書いておかないと、他のことに集中して思い出すこともなく、ややもするとそのまま記憶が埋もれてしまう可能性もあります。深澤諭史弁護士に振り回されるのもだいぶん慣れてきました。最近はまとまったことをやってくれるので、こちらも助かります。

 有吉佐和子のことに戻します。最初になると思いますが、「私は忘れない」という本を読みました。ネットで情報を探してみます。

有吉佐和子 『私は忘れない』 | 新潮社 http://www.shinchosha.co.jp/book/113205/

 上記のページには「(1931-1984)和歌山生れ。」とも書いてあります。私の母親は昭和4年生まれで1929年生まれになるのだと思います。昭和6年生まれで昭和59年に亡くなっていたことになります。

 「複合汚染」という本も出されているとのことですが、このタイトルは官本の棚で見た憶えがあります。少し興味をおぼえたことを憶えていて、もしかすると手にして読んだのかもしれないですが、内容のことは何も記憶に残っていません。

 同じ頃、差し入れされた別冊ジュリストで、過失の共謀あるいは共犯という理論があり、関心を持ったことを憶えています。

 先日は、高島章弁護士(新潟県弁護士会)についてもメインにしたエントリーを一つ作成しました。その時書こうと思いながら書かなかったことですが、公害問題というのは、私が物心ついた昭和40年代が最も活発かつ深刻な社会問題となっていたと思います。

 高島章弁護士(新潟県弁護士会)はプロフィールの他、ことあるごとに新潟水俣病訴訟弁護団長であることをアピールしてきたという印象がありますが、水俣病というのは本来、熊本県水俣市で発生した公害問題のはずです。

 似たような公害問題にイタイイタイ病というのがあって、調べて確認はしていないですが、私の記憶では富山県神通川の河口付近が発生場所になっていたと思います。

 生まれて1年、一歳の頃から昭和50年の4月まで私は辺田の浜に住んでいました。富山湾の海沿いにもなりますが、そのためかテレビは、富山放送と同じ富山の北日本放送がきれいに映り、石川テレビはほとんど映りませんでした。他にMRO北陸放送は見ることが出来たと思います。

 テレビのCMも富山にある金太郎温泉のものなどをよく見たという記憶があります。当時はUチャンネルというものがあって、ラジオのボタンのようなものをくるくる回して周波数を合わせていたような記憶もあります。テレビも白黒テレビでした。

 現在は、北陸放送石川テレビテレビ金沢北陸朝日放送の民放が見れますが、富山や福井のニュースを見ることはまずありません。大きな事件や事故でもあれば放送はあると思いますが、全国放送として見るので、他の地域と同じです。

 アニメや人気番組以外に、子どもの頃、どんな放送を見ていたのか記憶にはないですが、不思議とテレビのチャンネルで母親ともめた記憶はありません。食べ物や着る物のことではずいぶん反発しました。厚着をさせられるのと、腹巻きをさせられるのも嫌がりました。

 そのためかどうかはわかりませんが、昭和40年代というのは、よくニュース報道を見ていたという記憶があります。公害問題もその一つでした。四日市市ぜんそく問題などもありました。

 興味や関心を持ってニュース報道を見ていたということは、まずなかったと思います。ただ、拘置所で裁判を受けるようになってからは、昭和40年代の公害問題、裁判や弁護士活動のことを思い出すことがありました。弁護士に対するイメージの基礎にもなっていたと思います。

 その公害問題といえば、弁護士による弱者救済の旗印にようになっていました。その後、時代を遡って免田事件などの再審無罪事件が報道されるのをテレビでリアルに見ていましたが、これでもかという大きな報道が続き、それに似たのが中国の残留孤児の問題でした。

 保護房から出て、母親に手紙を書いたとき、なんでもいいので小説を差し入れて欲しいと頼みました。その時の心境で本の選択を全て母親に任せたのです。そういうのはその時、一度だけでしたが。母親を操る存在を背後に感じて、それを探るような意図もあったように思います。

 しばらくすると郵送で本が差し入れられて来ました。他にもあったのかもしれないですが、記憶にあるのはどちらも小さい文庫本で、有吉佐和子の「私は忘れない」と夏目漱石の「こころ」の二冊でした。それを自殺防止の突飛物のない舎房で読みました。

 時刻は15時13分です。ついさきほど、午前中に続き、能登町の告知放送で行方不明者の情報提供のお願いがありました。午前中は繰り返し2回の放送がありながら正確に聞き取れなかったのですが、77歳とのことでした。認知症の可能性もあるのかと思いますが、77歳というのは若く感じます。

 時刻は16時41分です。スマホフリック入力の練習などしていました。天気は良いですが、そのためか少し眠くなってしんどいです。今日の朝の情報番組は、大型連休明けなのに行楽の話題が多く、鎌倉での赤潮、夜光虫の景色や、道の駅の特集をしている番組もありました。

 グッディとミヤネ屋もチャンネルを変えて見ていましたが、国会での森友学園問題をまだやっていました。午前中はやっている番組もいくつかあったと思いますが、今治の殺人容疑の30歳台の女性の自殺は、さほど大きくは扱われていなかった感じです。

 気になったのは、弁護士のコメントというものを見ていない気がして、頼まれてもコメントを断る弁護士がいたのかもしれません。犯罪ジャーナリストの元刑事の方が、熱を入れて問題点を指摘していました。

 金沢地方裁判所の判決は求刑が懲役4年、そのままの判決でした。それが平成6年の2月の20日頃に確定するのですが、上告審などは未決通算が20日で、素人には相場もわかりにくいのですが、目的があってわざと出したものかと考えました。

 上告審というのはよほどのことがない限り、書面審理だけで終わります。過去に2回ほど情報をみただけで、これも不思議と話題を見ないのですが、よほどの法律問題の論点でも含まれていない限り、15人しかいない最高裁の判事ではなく、調査官が審査をして終わると聞きました。

 そもそも日本の刑事裁判の構造として、三審制となっていますが、一審、控訴審、上告審の違いというのもわほど話題にはならず、関心を持つ人も少ないようです。しかし、私は拘置所の中にいて、どれだけ控訴や上刻が多いか目の当たりにしました。それだけ不服も大きかったということでしょう。

 私が刑事裁判を受けていた頃は、控訴審の即日結審というのは見たこともなかったと思います。それを最初に見たと記憶にあるのは、植草裁判というものでした。テレビにもよく出ていた著名人が、国家的な陰謀にはめられたとか冤罪を主張した裁判であったと記憶しています。

 わりと最近も、その人物の名前をTwitterのタイムラインで見たことがあったと思いますが、リンクなど開くことはなかったと思います。読んでおきたいと思いながらも、その場の優先事項で開かないこともあるのですが、その時は関心もありませんでした。

植草一秀 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E8%8D%89%E4%B8%80%E7%A7%80

 確認の必要もあるので、上記のページにざっと目を通しました。はじめ2度の有罪判決というのを見たとき驚いたのですが、読んでいくと二度目の電車内の事件など思い出すことがありました。手鏡というのもすっかり忘れていましたが、考えてみるとスマホもなかった時代かと思いました。

 初めの裁判では控訴もせず、二度目の事件で控訴をして証人申請を却下されたとありますが、即日結審とは書いていなようです。始まった公判が3月18日で4月16日に判決が出て、間に公判があったことも書いていないので、結果として即日結審となったことが考えられます。

 考えてみると初めての公判が始まる前に、裁判官が次回公判で結審しますので、と伝えることは考えにくい気がしました。私の被告訴人小島裕史裁判長による控訴審の謎でもあるのですが、想定されるのは公判終了前に、次回判決公判を決めること、もう一つは公判の後日に書面で知らせることです。

 ほとんどの人にはわかりづらく、調べるとなると大きな時間と労力が必要となる可能性もあると考えますが、控訴審というのは法律審で被告人の出廷は必要なく、さらに弁護人を通さないといかなる主張も出来ず、取り合ってはもらえない、ということになっているはずです。

 裁判官には事実調べを行う裁量もあるはずなので、直訴をして認められればその限りではないのかもしれません。裁判官による事実調べというのもほとんど聞くことがないですが、刑事訴訟法などには、司法警察員にさせることが出来ると記載があったように記憶しています。

 司法警察員司法警察職員の違いなどもネットで話題になったのは見たことがないですが、要するに警察にやらせる、ということではないかと思いました。また、どちらかが麻薬取締官検察事務官などを含むものであったとも記憶しています。もう20年ほど前の記憶になりそうです。

司法警察員 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E6%B3%95%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%93%A1

 あやふやな記憶だけで書くのもどうかと思ったので、上記のページにざっと目を通しました。逮捕状の請求が出来るのは警部補以上と聞いたことがあったのですが、関連のページで確認すると巡査部長以上が基本的に司法警察員になるようです。検察事務官司法警察員に見当たりませんでした。

(証拠調べの請求、職権証拠調べ) 第298条 検察官、被告人又は弁護人は、証拠調を請求することができる。 裁判所は、必要と認めるときは、職権で証拠調をすることができる。

刑事訴訟法第298条 - Wikibooks https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%88%91%E4%BA%8B%E8%A8%B4%E8%A8%9F%E6%B3%95%E7%AC%AC298%E6%9D%A1

 上記のページを見つけたのですが、被告人も証拠調べの請求が出来る、と書いてありました。現在の刑事裁判は当事者主義となっているので、裁判所による証拠調べは補充的なものとも別のページに書いてありました。

 書くのを忘れかけていましたが、重要なことです。控訴審の1回目の公判まで一度も傍聴に来ることがなかった安藤健次郎さんが、次男とともに現れ、退廷の時に次男が暴れたことで、私はその次の公判から弁護人席の前に座るようになりました。

 これは裁判を受ける上で大きな違いとなりました。弁護人席の前に座っていると、正面を向きながらでも少し左に視線を移すと、公判中のいつでも傍聴席の様子が確認できたからです。私に何かを確認させるために、段取りを図ったとも考えられました。

 そして、普通はもっとも関心が高いはずと思われる9月7日の判決公判にも、安藤健次郎さんの姿はありませんでした。木梨松嗣弁護士が連絡に応じないのも、示し合わせた段取りで、連動しているとも考えられたのです。

 また、早い段階で安藤文さんの自宅に郵送した手紙が、受取拒否として返送されるようになっていました。7月の頃にはそうなっていたように思います。6月30日の公判で安藤文さんの意識が戻ったと江村正之検察官に聞かされ、それで勢いづいて手紙を書き送ったような憶えがあります。

 昨年の告訴状にも書いたように思いますが、平成6年2月21日頃に判決が確定し、確定したと告げられるのと同時に荷物をまとめるように言われ、その場で受刑者扱いとなりました。前日の購入品目で追加され注文したアンパンだったかを、受け取って食べる前だったのも心残りでした。

 拘置舎から移されたのは、受刑者の居住区に隣接した2階建ての建物で、それから分類審査というものを受け、3月17日に福井刑務所に移送されました。福井刑務所でも分類審査を受け、第一工場で2週間ほどの新入教育を受け始めたのは、4月に入っていたかもしれません。

 福井刑務所では新入教育は第一工場で受けることに決まっていました。そのあと配属となったのが第2工場で、一度口論で受けた懲罰後も同じ工場に戻されました。懲罰後、普通は別の工場に移されることが多いと聞いていました。

 福井刑務所は220人ぐらいの収容と聞いたことがあったように思いますが、余り正確には記憶していません。南寮と北寮という建物があり、南寮の方は雑居、北寮は独居房の建物になっていました。第2工場では306号室の雑居房になりましたが、11月頃に独居房に移されました。

 これは昨年の告訴状でしっかり書いたと思いますが、安藤文さんに3800万円か3700万円ほどの民事の損害賠償裁判を起こされたのがきっかけで、房内に裁判の書類を持ち込むには、独居房に移ってもらうしかないと刑務官に言われたので、移ることになったのです。

 その民事裁判の訴訟代理人となったのが被告訴人長谷川紘之弁護士、どう考えても安藤文さんやその家族の味方としか考えようもありませんでした。そして、それから一週間か10日ほどで、今度は木梨松嗣弁護士から母親経由で、刑事裁判の記録が一件記録という表題で郵送されてきたのです。

 刑事裁判の記録は、長谷川紘之弁護士から金沢地方裁判所民事部A係経由で郵送されてきたものの方が、数が多く、病院の領収書の写しや医者の詳しい診断書なども添えられていました。供述調書関係はどちらにも重複するものが多かったですが、羽咋市に住んでいる頃に不明となったものが多数あります。

 これも木梨松嗣弁護士が背後で関わり影響力を行使していると考えられる事実でしたが、他に入ってくる情報も判断の材料もないので、理解も納得もできるものではありませんでした。

 昨年の告訴状にも書いたと思いますが、そのうち長谷川紘之弁護士の自宅で妻が白昼、強盗の被害にあったということを知りました。情報源として今考えられるのは新聞紙のみです。福井刑務所ではかなり自由に時間の余裕ももって読売新聞の閲覧をすることが出来ました。

 昼食後の休憩でも時間は短かったですが、工場の中央にある通路に各紙面が吊るされていたので、ざっと目を通すことは十分に出来ました。これが金沢刑務所の受刑となるとテーブルごとの回し読みで、それも一紙だけだったので、読めたら運が良いという感じですらありました。

 共通して新聞をじっくり読めたのはレクというレクリエーションの時間です。これは入浴日と交代になっていたので、毎日あるわけではありませんでした。

 それと福井刑務所では、紙面の墨塗りがけっこうありました。被告訴人大網健二らの父親が逮捕された美川2少年殺人事件も、事件の発生は大きな現場の写真とともに見ていたのですが、逮捕時のものは墨塗りかあるいは切り取りがされていて、全く知ることが出来ませんでした。

 刑務官の判断でそうしたのだと思いますが、事前に情報を得ていれば、満期釈放時に迎えに来た被告訴人大網健二、被告訴人OSN、被告訴人KYNの3人の異様な態度の原因も、すぐに理解することが出来たと思いますし、もっと踏み込んだことも服役中に出来ていたかもしれません。

 福井刑務所は初犯刑務所なので社会になじむ教育目的も高かったのだと思いますが、2級生になると自主選択でテレビのチャンネルを変えることが出来ました。しかし、それは大型連休などを別にして、土日月の19時から20時55分ぐらいまでの視聴時間だけのことでした。

 NHKでニュース番組を見ることも出来たと思いますが、3,4級生も日曜日は、NHK大河ドラマのあと、20時45分からのニュース放送を10分ほど見ることが出来ました。印象的だったのは、まだ雑居房にいるときで、松本サリン事件の被害発生直後の報道を見たことです。

 当時は石川県で大きな事件もなかったのか、石川県のニュースというのは記憶に残るものはありません。しいていえば、福井地裁で無罪判決が出たものを、小島裕史裁判長が逆転有罪判決を出した福井女子中学生殺人事件の再審請求に関する報道などを見たことです。ラジオかもしれません。

 普通のテレビ放送の視聴は、土日月でしたが、他に決まった曜日の2日、映画かテレビドラマの録画放送を見ることが出来ました。舎房の回数で放送が一日ずれていたので、南寮4階にいる雑居の2級生に、前日の放送内容を聞くことが出来ました。

 基本的に作業中の交談は禁止で、懲罰の対象にもなっていましたが、よほど場をわきまえないことでもやらないと、ほとんどは刑務官も見過ごしてくれていました。中には要注意という刑務官もいましたが、手を挙げて許可をもらい、帽子をとって話せば、安全に会話をすることが出来ました。

 そんなことをしなくても、レクリエーションの時は、おおぴらにいくらでも交談をすることが出来ました。講堂だと刑務官が近くにいることもありましたが、外の運動場だと、散歩をしながら気兼ねなく話をすることが出来ました。

 そんなこともあったので、被告訴人長谷川紘之弁護士の強盗事件で妻が強姦されていたという話も聞くことがあったのです。強盗事件の本人が第一工場で新入教育を受けているとき、そう話していたとのことでした。

 同じ福井刑務所に服役しているというのも驚いたのですが、事件の逮捕報道からずいぶん短い間のことで、よほど早く裁判を終わらせたという感じでした。本当に強姦をやったのかはわかりませんが、本人が新入教育のそうそうにそういう話をしていたことは間違いなさそうです。

 福井刑務所を出た後、図書館の縮小版の北國新聞で知ったようにも思うのですが、犯人は被告訴人長谷川紘之弁護士の自宅に強盗に入る前に、他のところで強制わいせつ未遂事件のようなものを起こしていたはずです。同じ日の朝だったようにも思いますが、記憶が定かではなくなっています。

 他に読んだ新聞記事の内容もよく思い出せないですが、そのうち宇出津図書館で確認しようと考えていたところ、平成11年より前でしたか、昭和の時代のものを含め古いものが全て撤去され、残っているものも手の届かない一番上の棚に移されていました。

 これは、写真を探し出して、ご紹介をしておきたいと思います。誰の判断なのかもわかりませんが、記憶が不確かな過去の事実の確認もできなくなったので不便なことです。面倒なトラブルを未然に防ぐ措置として撤去した可能性まで勘ぐりたくもなります。

 探し物の作業の過程で、割とはっきり写った長楽寺の仁王像(?)の写真を見つけたので、この機会にご紹介しておきます。

2015-05-15_11.54.26.jpg

 見落としがあるのかもしれないですが、2015年の写真にそれらしいものはありませんでした。昭和のものから普通に閲覧できていたのは、かなり前のことで昨年の2016年よりは前だと見当をつけたのですが、今度は2016年のものを探してみます。

 時刻は19時45分です。何かの間違いではないかとも思うのですが、2016年のフォルダにもそれらしい写真ファイルは見当たりませんでした。次は2014年です。

2014-09-16_10.08.56.jpg

 ようやく1994年の北國新聞縮小版の記事を見つけることが出来たのですが、目当てのものとは違い、被告訴人長谷川紘之弁護士の自宅の強盗事件発生の記事でした。平成6年5月16日となっています。他に容疑者が逮捕された記事などもあるのですが、新聞の日付が読み取りづらいです。

 「金沢の弁護士宅強盗 出頭の会社員逮捕」という見出しの紙面で一番大きな扱いになっている記事は、写りが悪く日付を読むことができません。ただ、辰口の事件は同日9時55分頃(漢数字)という部分は読み取ることが出来ました。井口かと思っていたのですが、辰口でした。

 別に「今月16日に発生した・・・合同捜査班は26日までに、強盗容疑で逮捕した・・・辰口町の強制わいせつ未遂事件の約一週間前にも松任市内でも辰口町と酷似した事件があったことを突き止めた。ともに刃物で脅し、」と書いてある記事を見つけました。これで26日前に逮捕されていたことを確認。

 強制わいせつ未遂事件というのも妙な事件です。相手の犯行を抑圧し、猥褻な部分やキスなどをしても強制わいせつは成立するはずかと思います。実行の着手は認められるが、ということなのでしょう。触らせろと申し向けたが、拒まれやめたということでしょうか。

 「両手をひもで縛り上げる手口」とも書いてあります。足の方で激しく抵抗されたので、これ以上は困難とあきらめ、犯行を遂げなかったということなのかもしれません。いずれにせよ、強制わいせつ未遂というのは、他でも見た気がしますが、深くは考えずに来ました。

 同じ紙面には横に「セクハラは違法 社長と会社に80万円支払い命令」という記事があります。それと思われる裁判はあったのですが、輪島市の労働者福祉会館とも書いてあるので、宇出津の建設会社社長の裁判に間違いなさそうです。相当悪質な手口でハメられたというのが地元の常識のようです。

 これは日本初のセクハラ裁判と聞いた(何かで見たか、テレビで)憶えがあったので、前に確認のためけっこう念入りに調べたことがあったのですが、いつの間にかネットの情報も少なくなっていて、確認することは出来ず、別の裁判がそれに当たるような情報もあったかと思います。

 「社長と会社に」というのは、今回気がついた見逃せない法律上の論点がありそうです。業務起因性が認められたということでしょうか。私は平成4年の事件で、被害者安藤文さんの立場から労災事件として補償を受けるべきと考え、労働法関係の勉強もやりました。そこで注目している弁護士もいます。

 何度も被告訴人長谷川紘之弁護士の自宅の強盗事件のことは、調べた新聞記事などで読んでいたつもりでしたが、あらためて、平成6年の5月の事件だったとは驚きました。その時点では長谷川紘之弁護士のことは何も知らなかったはずです。訴状で名前を知ったのは11月に入ってからのはずだからです。

 福井県内での読売新聞では、全国版の扱いの事件となるものと考えられますが、それほど大きな扱いの事件だったのか疑問です。しかし、服役中に私が長谷川紘之弁護士が強盗の被害にあっていたことは知っていました。知った上で、強姦もされていたという話を聞いたのです。

 金沢弁護士会に人権救済の申し立てをし、被告訴人若杉幸平弁護士から門前払いの回答書が届いたのも、平成6年の6月中ではなかったかと思います。この書面はデジカメ撮影の写真としてネットでもたびたび公開をしてきましたし、今もパソコンにファイルがあるはずです。

 Twilogの方から探したのですが、回答書の書面は平成6年7月20日付けとなっていました。少なく見て申し立てから一月ぐらいは経過していたと思います。ちょうど被告訴人長谷川紘之弁護士の自宅強盗事件の報道があった頃に、私は申し立ての書面を郵送していたのかもしれません。

 若杉幸平弁護士を被告訴人にしたのか、被告訴人大網健二、被告訴人OSN兄弟との関係など、昨年の告訴状に書いたはずです。共謀罪の危険性だと騒ぎ立てる弁護士が多いですが、重大犯罪の幇助犯の認定というのもそうとう緩やかな条件で有罪とされる判例があるはずです。こういうのは表に出てこない。

 ましてや弁護士や裁判官という立場を利用して、事実上の隠蔽工作に関与したとなれば、その責任も一般よりはるかに重いはずです。それでも弁護士らの無視と無関心は、いつまでも続いています。

 時刻は21時02分です。ずっとテレビもつけておらず、夕食もまだなのですが、深澤諭史弁護士のタイムラインで更新のツイートを読み込んだところ、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートのリツイートが頭に来ました。それも医療崩壊をキーワードに含むものです。

  • ツイート:motoken_tw(モトケン):2017/05/08 20:03: https://twitter.com/motoken_tw/status/861536991669739520

    ちなみに、医療崩壊という言葉は「医療崩壊した」という意味ではなく、「このままでは医療が崩壊してしまう」という意味で使われていたのではないかな。地域的に医療崩壊状態に陥ったところもあったようだが、放置するとそれが全国化するという危惧感の表れであったように思う。

 昨日もそうだったように思いますが、深澤諭史弁護士のタイムラインでは、小倉秀夫弁護士のツイートのリツイートがやたらと多いです。偶然なのか何か事情があるのか本人ではないので確認はできませんが、気になる現象ではあります。憑き物なのかとも考え始めています。

 上記も深澤諭史弁護士がリツイートしているものですが、完全にデタラメ、と決めつけるところに小倉秀夫弁護士の社会的危険性を感じますし、ちょっと変わっているかも知れない弁護士であれば、無視も出来るかと思いますが、有名大学の法学部の講師を複数勤め、著作も多い弁護士のことです。

 深澤諭史弁護士は、もはや弁護士としてまともに生計を立てていくことを放棄し、弁護士であることに見切りをつけ、なにか燃料投下のようなことをやっているのか、という考えも頭に浮かんできました。先日のブロック状況の記録でも、@kk_hironoはブロックされていないことを確認しています。

 深澤諭史弁護士が弁護士業界や法曹になることに期待を抱き、裏切られた思いでいることは、繰り返される自身の過去のツイートのリツイートを見てもよくわかります。実家が太いというのも批判の矛先ですが、割と余裕のある家庭環境にあるように思えてなりません。

  • ツイート:Hideo_Ogura(小倉秀夫):2017/05/08 19:29: https://twitter.com/Hideo_Ogura/status/861528448027709440

    モトケンさんの活躍のおかげで、医療ミスで肉親を殺された遺族が、にっこり笑って、「次は失敗するなよ」とさわやかにその場を立ち去るようになったのですか?RT @motoken_tw: @Hideo_Ogura 医療崩壊が深刻化していた時期をことさら無視したのは小倉弁護士ですね。

 上記の深澤諭史弁護士のリツイートの一つです。こういうものをいちいち取り上げていても切りがないと思いますし、それより、どれほどかき乱されて時間を無駄にさせられて来たことかという思いがあります。そのご褒美なのか、最近はまとまったものが多く助かります。

 まあ、深澤諭史弁護士一人ならそういう仮説も成り立つのかと考えますが、同調者のような弁護士がわんさかいて、実名というのも珍しくありません。野田隼人弁護士、向原栄大朗弁護士がその代表格ですが、一緒に出版までしているぐらいです。本心で真面目にやっていることは間違いないはずです。

 彼らもまた、弁護士鉄道のレールの上をひたすら走らされている被害者なのかもしれません。深澤諭史弁護士を見ていると、機械の体を目的に旅立った銀河鉄道999の主人公と重なることがあります。アニメの方は最初と最後の回ぐらいしか見た記憶がないので、詳しくはわかりません。

 時刻は9時31分です。炊飯器の再加熱のボタンを押し忘れていて、さきほどスイッチを入れたところです。電子レンジだと早いのですが、熱くなりすぎることもあるので。21時02分のときテレビをつけてNHKのニュースを見るつもりでしたが、それも忘れていました。

 どうも次の弁護士のツイートが、小倉秀夫弁護士に火をつけた発端だったのかもしれません。大きく注目する弁護士の一人で、途中までご紹介は済ませているかと思いますが、なかなか手も回りませんし、タイムラインを見ていない弁護士も、書き物が多くなったのに比例して多くなっています。

  • ツイート:tsundereblog(ツンデレブログ):2017/05/08 17:20: https://twitter.com/tsundereblog/status/861496087793737728

    それまで99人の事件をかろうじて解決してきた弁護士が100人目に(法律論的には過失のある行為によって)助けられなかった場合に、弁護士人生を奪うことは理不尽と言えるか? と置き換えるとにわかには肯定しづらいな。 どんなときでも最善を… https://t.co/XcGdSn5Z15

 相当の自信家の弁護士らしく、少し調べれば実名もわかる弁護士かと思います。これまでは淡路島の弁護士、と文字数も節約して書いてきたかと思います。2,3日前にもこれはというツイートを、どこかのタイムラインで見かけていましたが、内容を含め思い出せません。

 依頼者となる可能性の高い条件に的を絞って、情報発信をしているというのは多くの弁護士に共通して感じていることで、それも致し方ないのかと思うこともありますが、長期的にみれば業界全体に対するダメージを蓄積しているとしか思えず、そのうち惑星が大爆発を起こすようにも思えています。

 無関係は、テレビの森友学園問題の追求を見ているだけでも、そういう思いは強くあります。支持、同調する人も一定程度の割合はいるのかと思いますが、存在自体を危険なものと見ている人の方が多いのではないかと思えるからです。北朝鮮問題の危機的状況もどこ吹く風で全く役に立たないと感じました。

 上記も深澤諭史弁護士のタイムラインですが、他にリツイートしたツイートにURLが含まれたものです。小倉秀夫弁護士自身が、自分の他のツイートのURLを引用したものですが、小倉秀夫弁護士としては余り見かけず、珍しいことのように感じました。

 なにか統計の数字をあげもっともらしいことを書いていますが、私が住む宇出津でも産婦人科がなくなり、緊急時でも遠方の病院まで行かなければならず、生命の危機にもなっていると新聞の記事でたまたま読んだことがありました。かなり前のことです。

 当時は、小児科においてもそれに近い問題性の指摘を何かで読んだことがありました。テレビで見たのかも知れません。小倉秀夫弁護士のあげる数字が全く無意味とは思いませんが、そこまで断定的に畳み掛けるだけの根拠とは到底考えられず、その弁護士脳の思考自体に危機感を感じてしまいます。

  • ツイート:fukazawas(深澤諭史):2017/05/08 17:24: https://twitter.com/fukazawas/status/861496987698343941

    原審すごいな。被告人にはこれだけ推定有罪ですすめているのに,他者の犯行可能性については,厳格な推定無罪ですすめている。 こういう認定されると,もはや手も足も出ないだろう。

 上記も深澤諭史弁護士のタイムラインのツイートです。5時間前と表示されています。まったく弁護士脳らしい思考回路だと感心させてくれます。だいぶん前になりますが、バイオが生物、ハザードが危険の意味だとしりました。文字通りの危険生物になってしまうのは、まさかの驚きのことでした。

 バイオというのはバイオ燃料などでなんとなくのイメージはありました。ハザードもハザードランプが車やトラックには必ずついているものなので、ずっと前から言葉はしっていましたが、警告のような意味ではないかと漠然と思い込んでいました。危険であれば工事現場にも別の英語があります。

 今、このエントリーのタイトルをみて気がついたのですが、「神仏と歴史」についても言及する予定で書き始めたものでした。何度も繰り返し書いてきたことと思いますが、小倉秀夫弁護士が2chで「ご本尊」と称されていたことが、まず初めにありました。その後は深澤諭史弁護士を中心の成仏です。

 世代や環境の違いもあるかと思いますが、初め成仏という言葉を見ていると、ご臨終と同じ意味かとばかり捉えていました。本来はもっと別の意味があるように考えるようになってきたのですが、深澤諭史弁護士ら法クラには、部外者が簡単に言い表せない独自の意味があるようです。

 ここで予告編ですが、宇出津に観音橋という名前の橋があることを今年になって初めて知りました。よほど注意しないと橋であることに気が付かないような小さな橋で、橋と呼ぶことにも疑問があるぐらいなのですが、宇出津では歴史のある特別な場所の一つです。

 確か「観音寺」というキーワードでGoogleの検索をしているとき、その宇出津の橋のことが情報として出てきたのですが、それから数日すると、Aコープ能都店の見慣れた手書きのような周辺の地図に、その観音橋の名前が書いてあることに気が付き、どうして今まで気づかなかったのか不思議でした。

 また、2月の下旬に祭礼委員の事務所から借りてきた昭和40年発行の「能登半島 宇出津キリコ祭り」という冊子の本には、もともとあばれ神輿は白山神社のものだけで、それでは各町内をまわりきるのが大変なので、昭和5年に酒垂神社のあばれ神輿ができた、と書いてありました。

 私は2009年の3月に羽咋市戻った後も、あばれ神輿は酒垂神社のものだけと思い込んでいたのです。それがTwitterFacebookで地元の人に間違いだと指摘を受け、二基のあばれ神輿がいると初めて知ったのです。近所で普通の神輿を町内まわりにしていたのが勘違いの理由の一つです。

 白山神社のあるのは大棚木という町内で、私は隣の小棚木という町内ですが、住所は宇出津山分となっていて大棚木も同じだと思います。ネットなどで見かけた古い資料には、宇出津山分は宇出津とは別で、宇出津山分あったとのことです。

 宇出津の町の中心部は、商店街にもなっている新町ですが、その辺り一帯は江戸時代か明治になって大規模な埋め立てで出来た町だと聞いていました。一方、酒垂神社の近くは本町という町内もあって昔は宇出津の町の中心部であったと聞いたことがありました。

 そういうこともあったので、酒垂神社の神輿の方が本家なのかとも思っていたし、魚市場の前には御旅所という鳥居があり、そこが酒垂神社のあばれ神輿の八坂神社に向かう出発点ともなっています。私が御旅所のことを知ったのもここ数年のことですが、そういう呼び名も聞いたことがなかったです。

 昨年ぐらいになって、ネットで調べた情報から御旅所というのは全国的に、お祭りの神輿の運行によくあるものだと知りました。

 私はずっと、神社と寺はまったく別のものだという考えで生きてきたのですが、これも50歳になったぐらいの頃に、神仏習合などで密接な関係にあることをしりました。その代表的な例が、素戔嗚尊牛頭天王の関係性です。以前は、これがどうにも理解出来ませんでした。

 上記は、小倉秀夫弁護士本人のタイムラインで見たツイートです。数年前と全く考えが変わっていないことを確認したような内容ですが、医師や医療問題を引き合いに出すのは、弁護士を同列の価値としているからで、これはモトケンこと矢部善朗弁護士、深澤諭史弁護士の三者に共通しています。

 医は仁術なり、という言葉もあったかと思います。中学生の頃には知っていたように思いますが、同じような意味として考えてきたのが、これも最近は見かけなくなった「惻隠の情」という言葉です。これは個人的な観音橋の思い出にもつながるものです。

 次はモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインで見たところのツイートです。

 話は変わって、今年の宇出津曳山祭の春祭りですが、初日の午前中まで強い雨が降っていたものの、天候に恵まれたお祭りでした。ただ、その分放射冷却現象の影響でもあったのか、朝方、御旅所の前に白山神社と酒垂神社の二つの曳山が集まり、休憩になると、ずいぶん寒く感じました。

 寒いと言っても4月の中旬で、能登半島では真冬の寒さでもマイナス2,3度ぐらいまでで、記録的な寒さでもマイナス5度ぐらいかと思います。岩手県蘇民祭は一年でも最も寒い時期で、川に入って水をかぶる姿もYouTubeで見たことがありました。蘇民将来の掛け声とともに。

 東北の方は、真冬でも長距離トラックの仕事でよく行っていましたが、ちょっと車外に出ただけではさほど寒さを感じず、その割にすごく路面が凍結していることがありました。山形県南陽市の付近では10月の中旬でも凍結でスリップをしたことがあります。多数の事故も起こっていました。

 北陸は湿度が高いので気温より寒さを感じると聞いたことがあり、たしかにそんな気がするという体験もしていましたが、東北でも緯度の高い岩手県で、真冬の真夜中に川の水をかぶるとなると、想像をこえた冷たさと寒さがあるものと思います。

 これまで不思議と、あばれ神輿を担いだ人の話を直接聞くという機会はありませんでした。昼の町内まわりで神輿を担いだことはありましたが、火の粉を浴びるような経験はおろか、体験者の話を聞くこともなし。被告訴人KYNであれば経験があったものと思いますが、話題になったことはなかったです。

 昨年、祭礼委員で初めて神輿を担いでいた人に質問をする機会があったのですが、熱いとばかり思っていたのに、寒いという答えが返ったのは意外でした。しかし、考えてみると真夏の炎天下でも長く海に潜っていると、唇が紫色になるほど体が冷えることがあります。

 冷暖房のない金沢刑務所の拘置所での生活で、初めに感じたことは7月の10日頃でも、まだまだ暑さを感じず過ごしやすいということでした。金沢刑務所は山とも呼ばれるらしく、いくらか高台になっていて、市内より気温の低いことは考えられましたが、風が入るととても快適に感じることがありました。

 蘇民祭で検索をすると、ただの変態の集まりイベントのように面白おかしく書くものが散見されましたが、奪い合うことで死者が出ることもあると聞いています。それだけのリスクも負いながら、蘇民将来を唱えることには、それだけの責任感と願いがあるものと考えました。

 はじめに蘇民祭について調べたとき、神社ではなく黒石寺というお寺というのもずいぶんと違和感を感じていたのですが、宇出津の八坂神社が観音寺の跡地ということを知って腑に落ちました。

 地元ではあばれ祭り二日目の夜、八坂神社に向かう運行ルートを、カンノジと呼んでできたのですが、まわりの誰もが疑問も抱かない様子でカンノジと言っていました。近くに神野地区という地名があるので、それと関係があるのかと考えることはあったのですが、観音寺が訛ったようです。

 先程ご紹介したばかりの昭和40年発行の冊子にも、カンノジとカタカナで書いてあります。八坂神社はカンノジ山の麓に鎮座する、という記述もあります。小高くはなっていますが、山とはとても思えないところで、それも観音寺橋に似ていると感じました。

 実は、観音橋と観音寺橋のどちらが正しいのかわからなくなったので、自分のTwilogで調べたのですが、2013年にも観音寺橋をタイトルに含むYouTubeの動画をURLの引用ツイートにしていたようです。

 YouTubeの動画を見たところ、2013年の時点でもかなり高画質の映像ですが、炎の中心部しか映っていないので、実際とは迫力が違います。どんな高性能カメラでも、それは変わらないかもしれません。松明の使われている枯れ葉はスンバと呼ぶそうですが、祭礼委員になって初めて知りました。

 これは白山神社の松明です。酒垂神社の松明はもう少し川の上流にあって、左に曲がっているので、この位値からは見えません。時刻も酒垂神社の方が先だと決まっています。白山神社のあばれ神輿は、梶川からあがったあと、昭和町のアメヤに行くことに決まっているので、その分も遅れます。

 毎年、予定の時間よりだいぶん遅れることが状態化しているようです。白山神社の氏子の気質にも多少の関係があるようですが、昨年の曳山祭の白山神社の運行もずいぶん遅れていたので、祭礼委員としても諦め気分がありましたが、今年はさほどの遅れもなかったようです。

 なにかと高い評判を聞くのは酒垂神社のあばれ神輿の氏子の方ですが、出発前にあばれ祭りを担ぐ資格があるかどうかを、その場で審査し、合格者には決まった色のタスキを渡すようです。タスキは他の役割の色もあるのですが、全て祭礼委員で用意し、祭礼委員のハンコを押しています。

 あばれ神輿の担ぎ手に選ばれるのは、一年間神社の掃除などに奉仕し、それでやっと選ばれるかも知れないというチャンスになるという話です。危険できついと思いますが、地元ではそれだけ希望者が多く、狭き門となっているようです。

 最近は見かけなくなった3Kですが、きつい、汚い、危険と言えば、以前のあばれ神輿ほど、汚い祭りは珍しかったとも思います。神輿を落とす梶川がものすごく汚かったのですが、近年は浄化槽で宇出津病院の排水も流れなくなったらしく、だいぶん水質の改善はなっているようです。

 以前は少し川に近づいただけすごい匂いがしましたし、あばれ神輿の担ぎ手として川に入ると、何度体を洗ってもなかなか匂いが落ちないと聞いていました。同じように神輿の怪我は治るのが早いとも聞いていましたが、それほどの大怪我というのもないようです。

 祭りの前には川をせき止め、川底の大掃除をすると聞いてきました。祭礼委員になって知ったもう一つのことは、どれだけ川底の掃除をしても、石などがあって、飛び込んだ時に足を骨折ことがよくある、という話でした。石も上流から流れてくるのかと考えましたが、普通は考えないことです。

 昔は私も、神様が喜ぶと理屈をつけて、好き放題に暴れているだけではないかと考えていたこともあるのですが、それでストレスや煩悩を払うことが出来れば、災厄の厄払いだとも思いますし、危険に向き合って集中力を高めることは、不注意の防止に役立つ合理性も十分なものだと考えます。

 昨年も銭湯に入っていて、となりの女湯の方から、他所に出ている娘が、宇出津のあばれ祭りはやぐさいので嫌いだと言っているという会話が聞こえてきました。そのように考えている人もいるとは思いますが、以前に比較するとずいぶんマナーが良くなったとも感じます。

 暴力装置のように本能のままに暴れるという人は見かけなくなりました。警察官による警備がそうなっていったのかとも考えます。その警察官が、他所から来た人に観光ガイドのような説明を歩きながらしているのを、見たのもカンノジに向かうときで、祭礼委員になる前年の2015年のことでした。

 時刻は5月9日0時42分となっています。テレビの月曜日から夜ふかし、という番組で、船で2本の鰆を釣り上げたといい、1本が1万円といいます。京都の西京焼きの専門的が出てきて、最高に脂が乗っているという評価です。

 サワラというお魚は、福岡で寿司ネタとして食べた記憶だけがよく残っているのですが、それは25年以上前のことで、依頼、サワラの寿司ネタというのも食べたことがないと思い、どんな味だったのかも記憶にないのですが、美味いと感じたので記憶にも残っているのかと感じました。

 サワラの小型のものをサゴシと呼びますが、釣り上げるとものすごく臭いと聞いています。味も評判がよくないです。石川県でも加賀地方の方ではよく釣れると聞いていますが、能登の内浦の堤防では滅多に釣れないと聞いており、昨年は宇出津新港でも釣れたそうですが、見たこともありません。

 昨年の秋か冬に近い時期には、一時期、小木港の堤防で型の良いタチウオが釣れているという話を聞きましたが、釣れたのは見たこともありません。今年の4月は小木港の堤防で、30〜40センチの鯖がよく釣れましたが、それも例年にないことで、つくづく自然は不思議だと感じます。

 前々回、小木港の東一文字堤防でアジ釣りをしたときは、夕方にアジが一匹も釣れませんでした。時期としても過去の経験としても考えられないことでしたが、それをなりわいとしている漁師にすれば、深刻な事態だと考えました。

 そのようなことも踏まえた上で、過去の小倉秀夫弁護士のベストツイートと思われるものを探し出して、掲載したいと思います。昨年の告訴状にも間違いなく掲載をしていると思います。ベストというのは素晴らしいという意味ではありません。超絶という意味です。

  • ツイート:Hideo_Ogura(小倉秀夫):2013/05/09 01:48: https://twitter.com/Hideo_Ogura/status/332175121294958592

    「長雨が続きすぎだ。このままでは農作物がダメになってしまう。そうだ!若い娘たちを人柱にして神様の怒りを解こう!」「人柱なんてとんでもない。第一そんなことしたって長雨が収まる保障なんてあるまい」「なら、お前、対案だせよ。出せないんなら、お前のところの18歳になる娘、人柱にするぞ」

 時刻は1時05分です。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインで、次のツイートを発見しました。手柄を掠め取る泥棒根性にしか思えないツイートです。前提としてURLが引用されているのは、先程ご紹介済みの小倉秀夫弁護士のツイートです。

 モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)が医療問題に熱心であれこれ沢山の発言をしていたのは事実ですが、それと似たものの一つに、福島原発事故放射能問題がありました。

 ずいぶんと親切心をちらつかせ、ときに叱責のような手厳しいツイートもしていたように思いますが、高野病院の医院長に対する言及は、検索でもひとかけらも確認することが出来ませんでした。成仏という言葉が最も相応しい医院長でしたが、その遺志を尊重する上でも看過できないです。

 モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインを遡ると、また一つ、驚く発見がありました。これもツイートが引用しているURLのツイートは、既にご紹介済みのものかと思います。淡路島の弁護士のツイートです。

 モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートのリツイートや、いいねの数が少ないのも気になるところですが、それは数日前に深澤諭史弁護士のタイムラインでも気になったことで、それが更新の中断になったのではとも考えてのです。

 ツイートや、いいね、の数が取り消しで減ることも、その時に初めて頭に浮かびました。やたらと過去の自分のツイートのリツイートを繰り返すのも深澤諭史弁護士の特徴ですが、その繰り返しのリツイートも、リツイートの数が減っているように感じたからです。

 そのあと、このエントリーのための動画記録の範囲にも含まれていると思いますが、前に深澤諭史弁護士のツイートで1万を超えているものを発見し、そのままどんなツイートかわからなくなっていたものがあって、データベースの操作で探し出そうとも考えていたものでした。

 見落としがあったらしく深澤諭史弁護士のタイムラインを4月25日まで遡っても見つからず、これはおかしいと「他人」をキーワードでページ内検索をしたところ、すぐに出てきました。

 これはしっかりスクリーンキャストで記録をしておきたいと思います。

 深澤諭史弁護士のツイートとしては、突出してリツイートの数も多いので、なぜなのかと考えさせられるツイートです。増える要因や条件があったのだと思います。リツイートは必ずしも賛同ではないとプロフィールに書いている人も見かけはしますが、同調、賛意が多そうに思えるものです。

  • ツイート:fukazawas(深澤諭史):2017/05/03 10:02: https://twitter.com/fukazawas/status/859573945883697153

    DV・ストーカ-事案の「話し合いたかっただけ」「真意を確かめたかっただけ」と主張する率は高い。 なお,その「話し合い」で思い通りに行かなくて凶行に走ったという事案があるので,安易にいっては危ない。

 検索で気がついたのですが、ストーカーの二つのハイフンが違う文字になっていて、ストーカーだと該当しないようになっていました。何かの対策でやったことなのか、気になるところです。

 深澤諭史弁護士のタイムラインで、ストーカーをキーワードに含むツイートも、リツイートの数が数千単位5千か7千という見かけたような覚えがあって、調べたのですが、4月20日ころのツイートまで読み込んだ検索でも見つけ出すことは出来ませんでした。

“ストーカー” from:fukazawas - Twitter検索 http://bit.ly/2pYWPLB

 直接、Twitterの検索で調べたところ、上記のスクリーンショットとして記録した、3,456というリツイートが、ストーカーをキーワードにするものでは、最も数が多いようでした。5千、7千というのは私の勘違いだったのかもしれません。それにしても1万超えは別格です。

 フォロワー数の少ないアカウントでも、ものすごい数のリツイート数を見ることは、ままあるので、Twitterの運用や現象としても未知の部分が大きいのですが、他の深澤諭史弁護士のツイートはリツイートがごく僅かなものが多く、最近はその傾向が強くなっているように感じていました。

 時刻は2時13分となっています。まだ夕食は食べていません。余りお腹は空かないのですが、もらいもので早めに食べてしまいたいものがあるので、どうしたものか思案しています。冷凍保存という方法もありますが、悩ましいところです。この前はそれで食べました。

 深澤諭史弁護士、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士のツイートで、お腹いっぱいです。このあとどうしたものかと、天然素材をごちそうにすることを考えてしまいます。神仏に対するお供え物すなわち奉納としての取扱いです。

 「夫婦別姓の件にしろ,同性婚の件にしろ,日本人には,「他人が自由にするのが許せない病」という,病気が蔓延している気がする。」という先程の深澤諭史弁護士の1万超えリツイートのことで、思い出したことがあります。

 金沢西警察署で谷内孝志警部補に取り調べを受けていたとき、しみじみとした口調で、「人を許す気持ちが必要やな」と言われたことがありました。最近になって、その言葉を噛み締めて考えるようになり、なにか心にゆとりも出てきたと感じています。

 他に、金沢西警察署で谷内孝志警部補に取り調べでは、「高くついた一発やな」とも言われたので、こちらの方が取調官としての全人格を含めた状況認識が端的に現れていると思います。それを捜査の過ちとして警察が共有財産としていかせば、救われる人も増えそうに思います。

 二ヶ月ほど前になりますか、朝の寝起きに中島みゆきの「糸」という曲の歌詞が、いきなり頭に思い浮かんで来たことがありました。「いつか誰かの傷をかばうかもしれない」という歌詞があります。

 平成10年か11年には、金沢市北安江の借家で、母親の前で最大限の不満をぶつけ、子どもの頃から家にあった仏壇をぶち壊したこともありました。被告訴人KYNにはそのことで皮肉交じりの説教をされたこともありました。50歳を過ぎここまで来ると、執着も薄れ、考えや物の見方も変わりました。

中島みゆき 糸 歌詞 http://j-lyric.net/artist/a000701/l0000fa.html

 確認のため上記のページで歌詞をみると、「織りなす布は」となっていました。布という部分が気ままで聞き取れていなかったのか、初めて見たような気持ちになりました。

 深澤諭史弁護士、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士の三者は、凄まじい怪物性を再確認しました。生物学的には、地球外生物の発見にも匹敵するものではないかと、正直考えるぐらいです。数々の条件が揃ったことによる突然変異のような弁護士脳の危険性です。

 四天王、八王子といった語呂の良い数字もあり、刑裁サイ太、落合洋司弁護士(東京弁護士会)、郷原信郎弁護士、佐藤博史弁護士といった特別視するべき存在の弁護士は他にもいましたが、この三者こそが、頭抜けて特別なものだと、考えてきたことに、誤りはなかったと考えています。

 神様の目線として、最もふざけた弁護士という見立てになりますが、深澤諭史弁護士だけはとっかかりもないので刑事責任を問うことも出来ません。それがまた絶妙なバランス感として、なにか宗教的な人知を超えた意味があるようにも感じていますが、それが何かを見極めるは至りません。

 そういえば、一昨日となった日曜日の夜にテレビに見たとニュースが、昨日の月曜日のテレビでまったく見かけないニュースであったことを思い出しました。ネットでも全く見かけていませんが、これから検索で調べてみます。内容的に深刻な事件だと思いました。

庭でバーベキューの男性、近所の男に刺され死亡 岐阜  :日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXLAS0040010_X00C17A5000000/

 弁護士脳による社会汚染が進むほど、こういう事件は増えていくと考えていますが、痴漢容疑で線路を逃走して逮捕された事件も当日だけで、翌日以降はぴたりと報道を見なかったので不思議に思っていました。同じことを最初に感じたのは、新潟県新発田市の連続強姦致死容疑のある事件です。

 とにもかくにも、その新潟県新発田市の連続強姦致死容疑のある事件は、愛娘を育て上げた親の立場になって考えて、この世の中には神も仏もないのかと考えさせられる事件で、それに猛威をふるったのも、報道にはなかったネットの情報としてですが、新潟の弁護士の存在が見え隠れしていました。

 マスコミの報道が中途半端だったので、見え隠れしてみえたのかとも考えますが、そのマスコミを心底罵倒し、ウンコを投げつけているように見えるのも、深澤諭史弁護士の一面であって、つい最近もリツイートが多かったですが、そういう考えの強固さを目の当たりにしたところです。

 刑事事件に限らず、深澤諭史弁護士は熊本の大地震でも、マスコミのことをあげつらって批判していました。リツイートが多かったようにも記録しています。報道の価値など微塵も認めないような、極めつけの弁護士脳だと思いました。

 時刻は3時25分です。さきほど仏壇のことを書きましたが、母親は元気な間ずっと、毎日仏壇に炊きたてのご飯を備え、冷えて丸く固まったご飯を食べていました。信心深いとも思いましたが、私は反発心の方が強く、より実効性のあると思われる法律やパソコンの勉強に力を注いで来ました。

 なんであれ、母親の成仏も近づいていることですし、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)と小倉秀夫弁護士を露払いとしての供え物として、法律家としての命を完全に消滅させたいと考えています。それに相応しく、値すると考えているからのことです。よろしくです。

 時刻は3時36分です。小倉秀夫弁護士のツイートに返信を送ってやりました。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のメンションも含まれているようですが、ブロックされているので届かないでしょう。次のツイートです。

 時刻は8時15分です。深澤諭史弁護士のタイムラインで、画面を少しスクロールすると、次のストーカーをキーワードに含むツイートが目に入ったので、ご紹介しておきます。弁護士脳の本質がそこにあるという内容を含むものです。

 那須のスキー場の事故の犠牲者を弔うお線香が飛び火して、山火事になった可能性がある、というとくダネの司会者小倉さんの話をテレビで見ました。東北地方の3件をあわせ、昨日は4件の大きな森林火災があり、まだ萌えているところもあるとか。釜石市など。

 チャンネルを変えると、森友学園問題もやっていて、ビビットという情報番組は8時に始まったときからそれをやっていました。そのあとのコーナーは50歳での未婚率のような話題でした。大阪府の待機児童が3000人というのは、参考になる情報でしたが、口頭で大阪市という声も聞こえました。

 今度は、「ピンチ ジャガイモ不足 コロッケお前もか!?」という話題に移ったので、まさに情報番組という感じです。ずいぶん前の北海道の台風被害の影響ということなので、それもためになる情報であるとは思います。そう言えば七尾のauショップで、ポテチを一袋もらったことを思い出しました。

 書き忘れたというか、追加の情報の必要性を感じたことがあります。深澤諭史弁護士のタイムラインで更新が止まったのを、記録の作成をするほど気に掛けたのは、粘着のようなものではなく、その少し前に、忽然と消えていた弁護士アカウントがあったからです。憲法学の先生のような紹介もあったかと。

 法クラの間では、「たけるん」とも呼ばれていました。

REGEXP:”たけるん”/法律・報道関係者のツイートの記録(2017年05月09日09時01分・12件) https://hirono2016s.wordpress.com/?p=64283

 久しぶりにテキスト記録のデータの検索コマンドを実行しました。

 検索結果には、深澤諭史弁護士、足立啓太弁護士、村松謙弁護士、野田隼人弁護士、こたんせ、とらきち、というそうそうたる、お馴染みの名前が並びます。一年ほど前になりますか、北周士弁護士もいきなりアカウントを削除し、なにもなかったように消えていきました。

 時刻は10時43分です。変わった動画をYouTubeで見つけて視聴していました。次の動画という画面右側の候補の中に出てきたものです。どこかの寺院の本堂のようですが、明治維新に出てくるような菊の御紋の錦の御旗のようなものが見えるので、そこは神社のようにも見えます。

御陣乗太鼓 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=_4zslHhxDsY

 2016/12/31 に公開、という情報があるだけなので、どこで撮影されたものなのか不明です。その前に視聴していたのが、次の動画です、ユーチューバーとありました。

亀田興毅 vs Youtuber ジョー亀田興毅に勝ったら1000万円|AbemaTV1周年記念スペシャル企画 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=blf0wfnhIkI

 AbemaTVという存在というか名前自体、今朝初めて知ったところなのですが、深澤諭史弁護士のTwitterタイムラインで、トレンディキーワードとして、「亀田興毅」とあったので、気になって調べてみたのです。

亀田興毅企画ヒットさせたAbemaTVの豪胆 | テレビ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 http://bit.ly/2q0wVXM

 そして見つけたのが上記の記事でした。3ページの構成になっていますが、時代の変化も感じる興味深い内容で、すべてを読みました。視聴者殺到でサーバーがダウン、アクセス数は1300万超とのことです。元になりますが、プロとど素人の関係というのも興味深いテーマです。

 そのトレンディキーワードを見る前、思い出していたのが次の記事になります。これも大きな発見だと思っていました。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインでしたが、岡口基一裁判官のツイートとして見たと思います。

「恣意的な運用は日常茶飯事」 亀石弁護士が語る共謀罪朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170506-00000032-asahi-soci

 時刻は15時13分になっています。小倉秀夫弁護士から思わぬ反応があったので、それに専念したエントリーの作成に移りたいと思います。このエントリーに書いた予告編の部分などもまとめて盛り込み一本化をしたいと思います。

<< 2017/05/09(火) 15:15:29 <<