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石川県警提出書面)我孫子市女児殺害事件と能登小木港の釣り人行方不明者の発見から考える報道のありかたと、野田隼人弁護士のツイート.md

TITLE:石川県警提出書面)我孫子市女児殺害事件と能登小木港の釣り人行方不明者の発見から考える報道のありかたと、野田隼人弁護士のツイート.md
CATEGORY:2017年5月提出予定の書面,珠洲警察署,石川県警察提出書面,野田隼人弁護士,報道

>> 2017/04/26(水) 11:02:38 >>

石川県警提出書面)野田隼人弁護士のTwitterタイムラインから考える非常上告の刑事手続と憲法問題及び金沢地方検察庁からの連絡、石川県警察の対応.md - 奉納:危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中 http://hirono-hideki.hatenablog.com/entry/2017/04/23/113255

 上記ブログエントリーの続きになります。はてなブログへの投稿はAtomエディタのプラグインを使うようにしているのですが、最初のカテゴリ設定に面倒があったので、先に従来の独自スクリプトで投稿をやってから既存のエントリーをAtomで読み込んで編集するようにしました。

 Atomエディタのプラグインのよいところは、編集を行った上でのアップデートが容易であるという点です。設定で最初の投稿やアップデートをしたときエントリーをブラウザで自動で開くようにしています。そこで目に入ったのが次の前回のエントリーの冒頭に表示された野田隼人弁護士のツイートです。

  • ツイート:nodahayato(弁護士 野田隼人):2017/04/19 16:47: https://twitter.com/nodahayato/status/854602455052693504

    修習生です。松戸の児童遺棄の事件で被疑者が逮捕されました。そのことについてニュースでは、顔も名前も住む地域も、人柄も何もかも洗いざらい報道して… — 自分が弁護人になったときに情報を出さないこと。 ニュースについて言及しないこと。 https://t.co/fSr6w8QPL6

 同じツイートを、数日前に読んだときとは異なる印象を受けました。それもあって次のTwitterの検索で、以前の野田隼人弁護士とのTwitterのやりとりを調べたのですが、検索を実行してみると思っていたよりずいぶんと多いツイートの数でした。

from:nodahayato @hirono_hideki - Twitter検索 https://twitter.com/search?l=&q=from%3Anodahayato%20%40hirono_hideki&src=typd&lang=ja

 検索結果のタイムラインをざっと見たところ、記憶どおりの釣り関係のものがいくつかありましたが、2010年から2013年までという広い対象範囲も意外なものでした。最近は、野田隼人弁護士本人のタイムラインでも釣り関係のツイートは見かけることがなく、ずいぶん経つような気がしています。

 前回のツイートで書いたと思いますが、野田隼人弁護士に対する注目度を飛躍的に上げたのは、深澤諭史弁護士、北周士弁護士、向原栄大朗弁護士らと共著の出版をしてからのことだと思います。その後、ふとしたことからアカウントの一つをブロックされていることに気が付きました。

 野田隼人弁護士に限らず、私は手違いがない限りブックマークの保存から「ツイートと返信」のタイムラインを開いています。普通にアカウントのタイムラインを開くと「ツイート」で、こちらだと「固定されたツイート」がトップに表示されます。

 今朝になって初めて気がついたように思ったのですが、野田隼人弁護士のタイムラインで、次の固定されたツイートを見ました。深澤諭史弁護士らと共著で出版した書籍の紹介が書いてあります。

  • ツイート:nodahayato(弁護士 野田隼人):2016/11/11 12:07: https://twitter.com/nodahayato/status/796912097095356416

    「弁護士 独立・経営の不安解消Q&A」の予約分配送が届いているようです。また,通常購入も可能です。嫌いなあいつの事務所に(ry https://t.co/lc7FzEdN5y

 ついでに深澤諭史弁護士の固定されたツイートも確認してみました。同じ自分の書籍の紹介ですが、野田隼人弁護士らとの共著のものではなく、そのずっと前から紹介している書籍でした。たぶんずっと同じツイートなのだと思いますが、投稿日時を確認すると2014年11月21日となっていました。

 野田隼人弁護士ですが、以前から、たぶんアカウントを知った当初から、滋賀県の弁護士だということは分かっていたのですが、なぜかずっと米原や関が原に近い滋賀県長浜市の近辺をイメージしていました。

奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「高島市」の検索結果 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%B8%82&ao=a

  • ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2010/07/05 15:19: https://twitter.com/hirono_hideki/status/17771671024

    Twitterを利用する弁護士まとめ 10/6/20版 » 高島市で法律事務所(滋賀 http://goo.gl/IQGy Googleで「弁護士 ツイッター」と検索を掛けると、トップですぐに見つかりました。6月20日付で145人になっているみたいです。

 意外なことに検索結果は上記の一つだけでした。しかし、これがきっかけでさらに調べを進めたところ、次の野田隼人弁護士のツイートが見つかりました。リツイートとなっているのでこの時点ではブロックを受けていなかったようです。

  • リツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)>2015/03/06 22:11/2015/03/06 22:10> https://twitter.com/hirono_hideki/status/573833253028634625
    nodahayato (弁護士 野田隼人)> https://twitter.com/nodahayato/status/573832932252651520

    滋賀県は県内総生産あたり弁護士数,人口あたり弁護士数,いずれも少なく見えますが,大津本庁(駅徒歩2分)のある大津駅が京都駅から約10分,大阪駅から約40分であるため,事件の半数を京都・大阪に持って行かれています。県内自治体や事業者の顧問弁護士の半数以上は県外の弁護士です。

 ちょっと勘違いをしていました。発見したのは、次の私のツイートにURLが含まれる野田隼人弁護士のツイートです。

 これもちょっと忘れていたツイートですが、このような弁護士の問題性を感じるツイートは、いくらでもあり、いくらでも出てくるので、いちいち憶えていることも難しい現実です。

 被疑者や依頼者のプライバシーを何より優先しているようにも見えますが、個別の取扱事件を優先する余り、社会の全体的な動向や変化を理解されているのか、理解しなくてよいのか大きな疑問に思えますし、弁護士という業界の利益を優先することでの、不利益のとばっちりに対しても身構えます。

実名報道” from:nodahayato - Twitter検索 https://twitter.com/search?l=&q=%22%E5%AE%9F%E5%90%8D%E5%A0%B1%E9%81%93%22%20from%3Anodahayato&src=typd&lang=ja

 意外なことにTwitterの検索結果は5件でしたが、その前に確認した私のデータベースの登録は2件だけでした。残りのものをデータベースに追加して、まとめのブログ記事を作成しました。

REGEXP:”実名報道”/弁護士 野田隼人(@nodahayato)のツイートの記録(2017年04月26日12時25分・5件) https://hirono2016s.wordpress.com/?p=63207

 次のツイートは、データベースに登録のなかったものですが、一昨年の8月13日のツイートになっていて、なにか大きな事件があったことはわかるのですが、お盆の頃にそんな大きな事件があったのか、ネットの検索に頼らないと自分の記憶では思い当たるものがありません。

  • ツイート:nodahayato(弁護士 野田隼人):2015/08/13 17:26: https://twitter.com/nodahayato/status/631743569993138176

    センセーショナルな事件ではあるが,やはり実名報道には違いないので,よい子の刑事弁護人のみなさんはスルーしましょうね。

 自分のTwilogから次のツイートがみつかりました。ニュース記事に近い情報のリンクは切れておらず、意外なことに報道の当日だとわかりました。犯行後に自ら警察に連絡した事件だったようにも思うので、当日の事件ということにもなりそうです。お盆休みの事件だったとは記憶になかったです。

 高島市の話に戻します。Googleマップで検索をして、なんらかのかたちでツイートに記録が残るようにしておいたと思っていたのですが、そういうものは見つからず、いつ頃に正確な高島市の所在位置を知ったのか、時期を確認することができません。

高島市 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%B8%82

 上記のページで確認したところ、2005年に市町村合併で誕生したようです。初めの合併は2002年で、「高島地域合併協議会を設置(高島郡マキノ町今津町新旭町安曇川町高島町の5町が参加)」という記載があります。

 ここで思い出したのが、「今津」という地名です。それと「マキノ町」という看板も福井県との県境付近で見ていた記憶が残っていました。いずれも国道161号線沿いで、福井県敦賀市から京都市内に至る国道です。昭和59年の頃、金沢市場輸送の4トン保冷車で、とてもよく通った国道でした。

 時刻は13時38分になっています。昼食を済ませてから少しピグライフをやっていました。ちょうどイベントの終了です。食事が終わる頃に気がついたのですが、4月17日と言えば、「帆柱起こし祝唄」を初めて知った日だったように思います。

 宇出津曳山祭が終わった翌日の夕方頃だったように思うのですが、氣になったところからGoogleで、「ミカンの皮 木遣り」などと検索をして見つかったページに、能登の帆柱起こし祝唄、などと書いてあったので、能登でそんな言葉は聞いたことがないと思って調べ初めたのです。

奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2017年04月17日 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/date-170417/asc

 上記のTwilogで確認すると、最初に出てくるのは次のツイートになっています。

 次の動画を先に見たように思っていたのです。

 これも自分の記憶とは順番に違いがあるのですが、初めに見たものが「西之表市」で、どこなのかと自分で調べたところ種子島とわかって、いささか驚いたという記憶でいました。種子島と言えば、宇宙開発の前線基地、ロケットの打ち上げ場所として有名です。

 年末か正月にテレビの特集再放送で昼に見た「下町ロケット」というドラマのことも思い出しました。なぜに、鹿児島県種子島の神社で富山県の民謡の踊りが奉納され、それがYouTubeの動画のタイトルになっているのか、不思議に思い、何かの縁のようなものも感じていました。

 さきほど調べで見たページにも、伏木港は昔、全国の13の港の一つに数えられていた、という情報をみましたが、私の感覚では富山県高岡市の海に近い一部となっていました。

 伏木より石川県に近い氷見市が、能登半島の一部として書かれている情報は目にしたことがありましたが、伏木もそうだとは考えもしなかったです。

 伏木には、トラックの仕事で何度か行ったことがあったと思います。中越パルプの大きな工場の敷地も住所は伏木となっていたかと思っていました。確認はしていませんが、その伏木港にも平成4年の1月から3月頃、2,3度、荷物を積みに行った記憶があります。

 もっと伏木の古い町並みの場所に行った記憶もあるのですが、それはトラックの仕事ではなく、平成11年の永久開発の仕事のときだったかもしれません。ちょうど高岡市氷見市の境の辺りに、廃棄物の処理場があり、そこにも何回か同じ仕事に行っていた記憶があります。

 考えてみると、どちらも金沢西警察署と金沢中警察署に逮捕される事件を起こす少し前になります。

 伏木港の辺りも丸太の木材が多く置いてあったと思います。これは七尾市の港でも見かけた光景ですが、宇出津の棚木の海岸も以前は、製材所が多く、あちこちに丸太の木材が置いてありました。現在は機械で乾燥させるので、外の広場に干すことはほとんどないと、これも最近話を聞きました。

 神社に女性が踊りを奉納する、というのは他にも聞いたことがある話だと思いましたが、そういえばパチスロ機とパチンコ機の「伝説の巫女」も「もののけ音頭」という踊りを踊る場面があったことを思い出しました。

 宇出津の曳山祭も棚木の祭りというイメージが強くあります。現在は2台の曳山ですが、私が小中学生の頃は4台出ていたように思います。小棚木の更科という食堂の前辺りに、曳山が集まるのも、この春祭りの特徴の一つでした。

 もともとは宇出津の一部の町内のお祭りだったと聞き、それが何年か前に経費負担が無理になったという理由で中止となり、その一年だけやめたものの、その翌年からは宇出津を二分する白山神社と酒垂神社の氏子のお祭りとして復活したと聞きます。

 4月7日に祭礼委員の事務所開きがあり、年配の人と雑談する機会も多かったのですが、昔は漁師が海での船の漁で遭難して亡くなることが多く、それで曳山の春祭りが中止になることも何度かあったという話を聞いていました。

 昔から曳山祭では、マイクの大音量で4人ぐらいの人が古い唄を歌っていました。聞き取りにくい言葉でしたが、なんとなくわかるのは、「よいやま よいともへ」という繰り返しのある部分です。昔は、「良い友」かとも考えていたのですが、ともは船の「艫」かとも考えるようになりました。

 それが「木遣り唄」だと知ったのも10年ほど前のことで、ネットの情報で初めて知ったように思います。しかし、ネットでYouTubeの動画などを検索すると、東京や長野県など全国各地に木遣り唄があるものの、まるで違った唄としか思えませんでした。

 宇出津の木遣り唄は、七尾市の青柏祭の木遣り唄と基本は同じだと思います。青柏祭では、「よいやま よいともへ」のあと、一拍をおいて「エンヤー」という掛け声を繰り返すようです。宇出津では、あばれ祭りの神輿の掛け声に似た「チョウサー」「ヤッショウ」などを繰り返します。

 他に唄のような部分があるのですが、歌詞はいろいろとあるようです。何を言っているのかさっぱりわからないこともあるのですが、いろいろとパターンがあり、今年は「みかんのきりくちゃ」という部分が、多かったという印象で、頭に残っていました。

 木遣り唄というのは、山で木を伐採し運び出す作業の際の唄だと聞いておりますし、まさにそうしたイメージでした。長野県諏訪市御柱祭のことを知ったのも昨年の2016年が初めてだったと思うのですが、まさにぴったりとイメージの重なるところがありました。

 山のもの、というイメージが強かっただけに、海の漁師の遭難事故で曳山祭が中止になったという話に違和感を感じていたのですが、その今年の曳山祭が終わった翌日に、たぶん生まれて初めて知ったのが「帆柱起こし音頭」であったのです。

帆柱起し音頭(中村 晴悦) 歌詞 富山県民謡 ※ Mojim.com Mojim 歌詞 https://mojim.com/jpy114541x50x13.htm

 有名な曲らしく、宇出津の曳山祭の木遣り唄とは違って歌詞を見つけるのも容易ですが、「アリャアリャ ドッコイショ ヨーイトコ ヨイトコナー」と書いてあります。日本語としてわかりやすい意味にもなっていますが、「良いとこ」というのは、曳山祭の唄の解釈で考えたこともなかったです。

 宇出津の曳山祭は、「宵山」「朝山」「本山」の3つの運行に分かれるという特徴もあり、「よい」は「宵」をイメージするお祭りという感じでした。

 「アリャアリャ ドッコイショ ヨーイトコ ヨイトコナー」と唄う部分は、曲調がほぼ同じですが、それが宇出津と七尾市以外にあったというのが、個人的に驚きの発見でした。珍しいというより、生まれて50年以上も知らずに来たことにむしろ驚いたのです。

 七尾市の青柏祭については、昨年か一昨年、いろいろ調べて勉強をしました。昨年の告訴状にも書いたようにも思いますが、きっかけは朝ドラまれ、の間垣に「ぺ」の一文字、それが気になって調べ大地主神社の「ちゃんぺ饅頭」に至りました。さらにその人身御供の伝説が青柏祭の始まりになったとも。

 あらためて、平成3年の秋から事件当日の平成4年4月1日にかけては、市場急配センターの仕事で何度も七尾市に行くことがありました。例外は休日明け降ろしの荷物で金沢に戻るぐらいでしたので、そのほとんどの運行は、富山県内から関東方面に向かう、能登木材か林ベニアの荷物を積んだものでした。

 他に例外として、和歌山県かつらぎ町から積んだ、ミカンかイヨカンの荷物を七尾市の市場に持っていく仕事もありましたが、あれは夜中に七尾市に市場で荷物を降ろすとすぐに金沢に戻る仕事でした。

 七尾市の仕事が集中したのは、七尾市を地元にする被告訴人東渡好信が市場急配センターの配車係になったからで、そのすべてが七尾市内に本社をおく丸一運輸の仕事でした。栃木県の葛生町岐阜県大垣市から石灰を運ぶ仕事も同じ丸一運輸の仕事と聞いていました。

|会社案内 丸一運輸(株) ホームページ http://truck.maruichi-gp.co.jp/c3.html

 大きな会社だったので、他に営業所などあるのかと思っていましたが、七尾市内以外に会社はないようです。車両台数が95台となっているので、石川県全体でもかなり大きな規模の運送会社なのだと思います。

 私は2回ぐらい、会社の指示で丸一運輸の会社に行き、一度はその会社の古参の幹部のような人物と被告訴人東渡好信の話をしたこともありました。かなり年上にも思えましたが、同じ町内の昔からの強い絆のようなものを感じさせる関係性で、被告訴人東渡好信のことを真剣に心配している様子でした。

 被告訴人東渡好信が不可解な言動を見せるようになり、放心状態や精神病をうかがわせるような態度ふるまいを見せたり、無断欠勤を繰り返していた時期のことです。目的通り市場急配センターの配車係におさまったと見えて、しばらくしてからの変化でした。平成4年に入ってからだったと思います。

 こまかい事実関係は記憶の減退で思い出せなくなっているのだと思いますが、事件の鍵を握る人物であり、計画の筋書きを描いた脚本家、被告訴人多田敏明や被告訴人安田繁克、被告訴人安田敏という役者を操った指揮者のような男です。

 東渡好信という名前は、市場急配センターの1階休憩室に、火元責任者という札があって、そこに書かれた名前でした。普通に東渡とも呼ばれていましたが、一部で輪島市の浜上さんなどは彼を「さんちゃん」とも読んでいました。一度ふしぎに思い浜上さんになぜかと質問したのですが答えはなかったです。

 被告訴人東渡好信と輪島の浜上さんは二人一緒に金沢市場輸送に入社したのだと思います。平成3年の10月ころだと思いますが、当時は私も長距離の仕事で、毎日会社に顔を出していたわけでもないので、姿を初めに見たのも、入社からいくらか遅れた時期であったとも考えられます。

 その被告訴人東渡好信の金沢市場輸送への入社については、以前、金沢市場輸送の社長兼配車係となっていた本恒夫が運転手をしていた当時、石巻から鹿児島などに養殖魚のエサを運ぶ仕事をしていた頃、ちょくちょくフェリーで一緒になっていた運転手仲間だったという話でした。

 被告訴人東渡好信は、以前七尾市の共栄運輸の保冷車に乗務していたとも話していました。共栄運輸がエサの仕事をしていたという話は、他に聞いたことがなかったのですが、事実だとすればその可能性が高そうです。

 今から4,5年前の頃は、小木港の漁協の駐車場で、6トン車をよく見かけていましたが、それ以来、共栄運輸のトラックを見かけたことはありません。小木港での保冷車の仕事というのは、ほとんどが船凍イカの仕事になるのだと思います。地元では組合とも呼ばれていますが、市場のような別の建物です。

 「七尾市 共栄運輸」とGoogleで検索してもタウン情報のようなものしか見つかりませんでした。画像検索でも、昔見ていたようなドラックの写真は見当たりませんでした。保冷車の後部の扉にはお祭りの太鼓の紋様が描かれていたという記憶もあります。左か右の三つ巴の紋様です。

 以前、七尾市の保冷車としてよく見かけていたのは、この共栄運輸と小林運輸でした。共栄運輸は鮮魚や冷凍魚を専門にする感じでしたが、小林運輸はカニカマを開発したことで有名な魚肉加工練り製品のスギヨの専属運送会社だと聞いていました。

 この練り製品は、おでん種として宮城県塩釜市に沢山の会社がありましたが、それを鮮魚と一緒に混載で運ぶのも金沢市場輸送の東北便の仕事でした。金沢市場輸送の東北便は、塩釜市の本社と石巻市の営業所の東北陸運と塩釜市の宮城陸上の仕事でした。

 当初、金沢市場輸送での宮城陸上の荷物というのは福井中継分だけだったかと思います。とにかく金沢分の荷物は他に宮城陸上の大型車が毎日一台出ており、金沢の市場で荷物を降ろしてからは、七尾市に行ってスギヨの荷物を積んで塩釜に帰ると聞いていました。

 そのうち宮城陸上の北陸便はすべて金沢市場輸送の仕事となり、宮城陸上の自社のトラックが金沢に来ることはほとんどなくなったのですが、その宮城陸上の仕事として七尾市のスギヨから荷物を積んで、塩釜に運んだり、東京にも運んだことがありました。一時的な仕事で長くは続かなかったと思います。

 現在はどうかしりませんが、以前の七尾港のイメージというのは、鮮魚というのはほとんどなく、木材の港というイメージが強くて、テレビなどでもロシアから木材を輸入しているという話を見たことがありました。七尾港にも魚市場はあるのかと思いますが、仕事で行ったことは一度もありませんでした。

 七尾市と言えば和倉温泉が全国的に有名で、七尾市より和倉温泉の方が知名度も高いかもしれません。私は長距離の仕事で全国の温泉地も巡ることがありましたが、和倉温泉は全国的にもかなり規模の大きな温泉地だと思います。漁港としては隣りにある石崎が有名ですが、大きな魚市場ではなかったです。

 石崎は横綱輪島の出身地としても有名ですが、石川県出身の横綱ということで輪島の出身と勘違いされる向きは、同じ石川県内でも多かったように思います。

 輪島関が横綱として活躍したのは、私が中学生の頃で昭和50年代前半でした。

企業情報|輪島屋鮮冷(株) http://wajimaya.co.jp/company-outline.html

 久しぶりに思い出して輪島屋鮮冷を調べてみたのですが、保留車両279台となっています。本社と思われる所在地がいつの間にか金沢市神田1丁目となっているのに驚きました。隣接して新神田もあるのでややこしいのですが、労働基準局の入った法務局のあるあたりではないかと思われます。

 私が金沢市で住んでいた東力にも近いですが、神田は金沢市内の中心部にも近く、国道8号線からは外れるので、大きな運送会社の立地としてはどうなのかという疑問もありますし、土地の値段も高そうです。

 ホームページの沿革に、昭和60年4月金沢市神野にて設立とあります。これは西インターの近くの国道8号線沿いで普通のアパートの一室を事務所にしていました。私は宇出津の一つ後輩の面接に付き合って、その事務所に入ったこともあったのですが、アパートの会社は当時他に見たことはなかったです。

 時刻は19時49分になっています。小雨の降る中、バイクで銭湯に行き、Aコープ能都店で少し買い物をして戻ってきましたが、そのあと倉木麻衣の古い曲のメロディがなぜか頭に浮かんで離れず、曲名はわからず英語の歌詞が多かったとも思ったのですが、YouTubeで調べていました。

倉木麻衣 「Reach for the sky」 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=St_6IUU9sko

 上記の曲がそうかとも思いましたが、一度この曲のメロディを聴くと、前に頭に浮かんでいたメロディが消えてしまい、はっきり同定できなくなってしまいました。懐かしさともの悲しさを感じる曲です。

 時刻は20時33分になります。もう一つ。さきほどAコープ能都店で半額で買ってきたたらのめの天ぷらを食べながら、昨日の25日に録画していたNHKの「かがのとイブニング」という番組を見ていたのですが、藁葺やねの本堂というのを多分、これも生まれて初めて目にしました。

能登・阿岸本誓寺「アギシコギクザクラ」七変化の桜 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=hzjtvcoAOqQ

 上記はネットで調べた動画です。「アギシコギクザクラ」というのは山桜の一種ということですが、名前も初めて知りました。そういえば、桜も終わって、宇出津の近辺では「ノトキリシマツツジ」の赤い花が咲く時期かとも思いましたが、正確な時期は知りません。

石川県は「菊桜」の宝庫。石川県ならではの、ちょっと遅めのお花見はいかが?【お店ばたけ風だより】 - ISICOお店ばたけブログ http://www3.omisebatake-isico.com/blog/2009/04/0904kikuzakura.html

 菊桜という名前自体初めて知りましたが、上記のページによるとなぜか石川県に多いとのことです。4月下旬から5月上旬が見頃と書いてありますが、そういえば宇出津の万寿山の近くでも、5月の初め頃に満開となる桜を見たことがありました。その後見ていますが、初めて気づいたのは平成21年です。

 2009年は、3月15日に羽咋市のアパートを引き上げて宇出津に戻ってきて、その日は松波の職業訓練校で職業訓練の入所式を終え、バスで宇出津駅に戻ってきた帰り道に、ふとその桜のような満開の花の木を見たように記憶しています。気になって近くに行き、デジカメで撮影もしたように思います。

 菊の花と言えば、年末にハウス食品のCMで知った「庭の千草」という曲を調べて、その歌詞の中に「白菊」があると知って、考えることもあったのですが、菊と桜が一緒になった「菊桜」という言葉があること自体、生まれてこのかた今日まで知りませんでした。50年を過ぎても色々発見があるものです。

東京新聞:「横浜事件」の発端、富山の旅館 「共謀罪」戒めの地に:社会(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201704/CK2017041202000221.html

 もう一つ本題から外れますが、ブラウザのクリック操作の手違いで3つのページがグループ化され、その一つが深澤諭史弁護士のTwitterタイムラインだったのですが、またクリックの操作でミスをしてページを消してしましました。

 グループ化された他のページも消そうとクリックしたところ出てきたのが、上記の「共謀罪戒めの地に」という記事です。富山県朝日町の老舗旅館と書いてあります。昭和59年当時、北陸自動車道はその朝日インターが新潟方面に向かう最終出口となっていました。

 記事には「金沢市の市民団体「石川県平和委員会」が募った「平和の旅」の一行二十八人。」とも記述があります。あらためて記事を見ると、東京新聞の記事になっていました。逆転現象にも思えるのですが、東京新聞中日新聞の子会社だという情報を数年前にネットで見ています。

 そういえば、先ほどのYouTubeの動画で、石碑に谷本石川県知事の名前がありました。石川県の出身者ではないと聞いたことがありますが、郷土愛の強い精力的な知事という印象です。テレビで、熱中症でぶっ倒れる場面の映像を見たことが何より印象的です。限界を超えて我慢されていたようです。

 朝日インターの周辺というのは建物も店も殆ど無いような田舎道でしたが、その先に越中宮崎というところがあって、そこは国道8号線沿いにドライブインがたくさん並んでいて、名物にタラ汁という看板が多くあったと記憶しています。

 まだ2,3ヶ月前だと思いますが、テレビの旅番組で、その越中宮崎のタラ汁のドライブイン、調理場の様子など見る機会がありました。最大限の強火で煮るのがこつだと紹介されていましたが、味噌は煮立てるなというのが鉄則だと思い込んでいました。そのタラ汁も味噌をつかっていたよう思います。

 越中宮崎の先は上り坂になっていて、どのあたりか正確な記憶にないですが、その先には家などなく、新潟県の県境の看板が出てきたと記憶にあります。その上り坂の先が、親不知でした。親子でもかまっていられないほど、波が危険な難所という歴史になっていました。

 時刻は21時53分になっています。台所で、久しぶりに鍋焼きうどんを作って食べていました。小さい土鍋で、Aコープ能都店で買ってきた稲荷をたれごと入れたので、かなり甘くなっていました。

親不知 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E4%B8%8D%E7%9F%A5

 上記は中断前に開いて読んでいたページです。

 子どもの頃、忘れた頃に母親が鍋焼きうどんを作ってくれることがありました。年に数回程度だったと思います。丼も同じでしたが、ずいぶん甘口だったことが印象に残っています。母親の味覚だったのかと今は想像をしますが、とにかく甘すぎると感じていました。

 湯豆腐というのはもっと頻度のある食事のメニューだったと思います。バクチダイ(バクダイとも。カワハギのこと)かフグが入っていましたが、鍋の真ん中に大きな湯呑みに醤油のたれのようなものがあって、それがものすごくしょっぱく辛かったこともよく憶えており、他の料理の甘さとは両極端でした。

 上記のWikipediaのページに、「壇ノ浦の戦い後に助命された平頼盛」のことが書いてありますが、これは過去に見たという記憶がありません。親不知子不知は時間的な余裕もあってか、観光地の駐車場にトラックをとめて、石碑の文章を読んだという記憶があります。

 その親不知子不知で思い出したのは、小さい子どもの頃、辺田の浜と宇出津の上田町の間にあるトンネルが古く狭いもので、とても怖い思いをしながら母親とそこを歩いて通っていたことです。トンネルの長さは今とほぼ同じで50メートルもないぐらいだと思いますが、とても危ないと感じていました。

 夜の暗い時間にそのトンネルを母親と通るのは、今日も行ってきた宇出津の新町の銭湯の行き帰りだったと思います。その後、まだ辺田の浜に住んでいる頃に、横に歩行者用の立派なトンネルが出来て現在もそのままになっていますが、不思議とそのトンネルの工事の様子は全く記憶にありません。

 時刻は22時10分ですが、テレビの報道ステーションで、「#東北でよかった」というTwitterハッシュタグのことが紹介されています。銭湯から戻ってきてからだと思いますが、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインで、その話は見ていました。

 今日のテレビは、今村復興大臣の辞任のニュース、話題が多く、どれもこれでもかと思えるぐらい、否定的で批判的なものばかりでした。人間としての性根が透けて見える、という趣旨のものがいくつかあり、とにかくおしなべて一致した批判ばかりでした。

 ネットでとりわけ印象的だったのが、次の落合洋司弁護士(東京弁護士会)のツイートです。

 ここに二階氏という自民党幹事長という名前がありますが、落合洋司弁護士(東京弁護士会)の人生に大きな影響を与えたばかりの人物とも思えるので感慨もひとしおでした。森友学園の園長と同じく梯子を外されたという評価もネットで散見されましたが、自民党出馬の意向という話題でした。

 それ以前の段階で終わったのか、テレビでその落合洋司弁護士(東京弁護士会)の自民党公認で出馬という報道を見ることはなかったですが、過去のツイートとの変節が大きすぎるとか、何かと参考になることが大きな現象でした。同業者に対してもブロックを乱発したらしく益々理解を超えた存在感でした。

 落合洋司弁護士(東京弁護士会)と言えば、歴史にも造詣が深い読書家で、札幌の書店で事故があったニュースであったように記憶していますが、本に埋もれて死ぬのなら本望とまでブログに書いていた読書家のようです。NHK大河ドラマの評価もブログなどでやっていて、今年のものも酷評していました。

 昨年の真田丸は高く評価をしていたようです。私は史実からかけ離れた想像性の盛り込みが強すぎる気がして、まもなくほとんど見なくなりました。その前から中学生の頃に全話を見た平将門大河ドラマ以来は、大河ドラマ自体に関心がなく、ほとんど見たこともありませんでした。

 その大河ドラマに対する印象がいくらか変わったのは、2009年の直江兼続を主人公にした大河ドラマで、そのときに直江兼続という歴史上の人物の名前も初めて知ったのですが、殺伐として戦国時代になぜ兜に愛という一文字を掲げたのかという点には関心を持ち、それでも未だ調べたことはありません。

 その2009年は先にも書いたように羽咋市での生活から宇出津に戻ったところで、曳山祭を見たのもずいぶんと久しぶりで小中学生の頃以来かと思ったのですが、その曳山のテーマの一つが、その年の大河ドラマ直江兼続となっていました。

直江兼続の功績と愛の兜の意味!! | 大河ドラマ セレクト日本史 http://pleasure-bit.com/1513.html

 検索から上記のページに目を通しましたが、愛宕権現愛染明王の話は、以前ネットで読んだことがあると思い出しました。越後の上杉家が会津に国替えと書いてあることで、歴史の経過をすっきり納得することが出来ました。前田慶次と関係があったことも以前テレビで見たことを少し思い出しました。

直江兼続の兜の愛の由来や意味とは | ひすとりびあ http://historivia.com/cat5/naoe-kanetsugu/223/

 上記のページもざっと目を通しましたが、これも新たに思い出したことがありました。現代の裁判にも通じそうなもので、「遺族の首をはね、それを晒し首にし首の横の立て札には「この者達を使いに出すので使用人を返せ」と閻魔様への嘆願書を書いた」という部分です。

 こちらのページでは、会津ではなく米沢に国替えになったように書いてあり、その方が自分の歴史の知識として納得のいくところがあります。会津福島県で、米沢は山形県だったと思います。なんどかトラックで国道13号線米沢市を通過したこともありました。南陽市から福島市寄りだったと思います。

 金沢から仙台に向かうには、新潟の村上市の手前、確か荒川という交差点から国道113号線に入り、小国町から南陽市国道13号線に出て、山形市に向かい、そこから宮城県内に入って行きました。時にその先の天童市から国道49号線を使うこともありましたが、256号線だったかと記憶しています。

 今日まで調べていなかったと思っていた愛という兜の意味でしたが、いざ調べてみると、以前読んだ情報ばかりで、たぶん検索を実行していたのだと思いました。官本で読んだ上杉鷹山という人物も米沢藩を救った功績となっていたように思います。

 直江兼続について調べていると春日山という地名も出てきましたが、これはテレビの番組で、林修先生が歴史上の人物の一押しとして紹介していた幕末の河井継之助のことを思い出しました。長岡市にあるとその番組で見たように思いますが、確認はしていません。

 本日、ネットで親不知子不知について調べたところ、そちらも糸魚川市内であるように知りました。トラックの仕事をしていた頃、新潟県の郡部の住所として記憶にあるのは、頸城郡と蒲原郡の二つです。どちらかが上越市に近い柿崎の辺りで、他方が村上市の先の山形県との県境だったと思います。

 先に、能生町糸魚川市だと知って意外に思っていたのですが、市町村合併であとにそうなったという可能性もあるかと思います。

 先の親不知のWikipediaのページには、「1988年(昭和63年)7月20日には北陸自動車道が開通した。」とも書いてありました。これを見ると昭和63年の1月の段階では開通しておらず、国道8号線の親不知を通るしか選択はなかったことになりそうです。

 昭和59年、事故か自然災害で、その国道8号線の親不知が通行止めになり、鮮魚の定期便で新潟に向かうのに、名古屋から中央道経由で長野市まで出て、そこから国道18号線上越市に出て新潟市内に向かったという経験がありました。予想を超えた時間がかかり大変な思いをしたという記憶があります。

 昭和63年1月というのは次男が生まれた頃で、朝方に地図でみた会津磐梯山から福島市内に出る国道を使おうと走ったところ、山の頂上付近まで行って、通行止めの看板が出て道の選択に後悔したという思い出があります。金沢市神田のお好み焼き屋に遅い時間まで二人でいたことも憶えています。

 新潟市から福島県郡山市に出るのは国道49号線だったように記憶しています。金沢からだと五泉市という辺りから安田町に出ていたような記憶もありますが、一度だけ新潟市内からそちらに向かったこともあり、国道沿いから亀田製菓の工場を見たようなことも、薄っすらと記憶に残っています。

 その国道49号線ですが、冬場に新潟、福島の県境を超えるには難儀した思い出もあります。坂が急な上長く、積み荷が前方に偏った重量だとチエーンを巻いても登りきれないことがありました。他に同じ経験をする坂はなかったと思います。難所として有名なことはなかったですが、個人的な経験談です。

 その国道49号線で会津若松市の先には、猪苗代湖がありました。観光地のようになっていましたが、その先に、野口英世の生家があり、屋上屋を架すの文字通り、古い家の上にコンクリートの建物があったように思います。私が子どもの頃は偉人として特に有名で、親孝行でも知られていた人物でした。

野口英世 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E8%8B%B1%E4%B8%96

 上記のページにところどころ目を通したところ、51歳で亡くなっていたと知りました。以前にも見たことのある情報かと思いましたが記憶にはなかったものです。

 「彼自身も借金を繰り返して遊郭などに出入りする悪癖があったことから強い衝撃を受け、」、英世という改名に至ったという部分は意外なエピソードとして初めて知ったように思いましたが、ドイツの哲学者ニーチェにも似たような逸話があったことを思い出しました。

 同じ福島県ということで、昨年の年末に火災で亡くなった広野町の高野病院の院長のことも思い出しましたが、自堕落とは思えないもののタバコを吸っていたテレビの場面のことも思い出しました。喫煙に対して強い攻撃性を加えていたのも、落合洋司弁護士(東京弁護士会)のブログの一面でした。

 国道49号線で郡山市に向かうのは、郡山市に荷降ろしがある場合と、太平洋に近いいわき市内に向かう場合がありました。いわき市に向かったことは数回しかなかったと思います。郡山市での荷降ろしは、中越運送の定期便がほとんどでしたが、毎日の定期便ではなかったように思います。

 中越運送の積荷は、珍しく松任市内でした。現在は白山市となっています。その中越運送の支店で、50歳で引退した金沢市場輸送の運転手と再会することもありました。ブッチャーのような体型で、珠洲市の見附島の近くの周辺の出身と聞いたこともありましたが、寡黙で孤独そうなな人でした。

 昭和59年当時、50歳になって長距離トラックの運転手をしているのは、とても珍しいとも聞いていましたが、金沢市場輸送に入社して間もない頃、京都方面から大型の平ボディ車で、滋賀県今津町に向かっているとき、助手席に乗っていて、運転のその人が完全に居眠りをする様子を横で見ていました。

 急遽、今津町に向かっていたのですが、それは当時金沢市場輸送の配車係をしていた蛸島の北浜太一さんの弟が追突事故を起こし、積んでいたバナナの荷物の積替えに、今津町の自動車工場に向かったと記憶しています。

 その今津町だと思いますが、ものすごく古い冷蔵庫の会社があって、そこに昼間にちょくちょくと荷物を運んでいたという記憶もあります。とにかく他に見たことのないような古い建物の冷蔵庫で、歴史のある酒造工場というイメージがより強く、それが新潟の酒造りのイメージも繋がっていました。

 私が金沢市場輸送に入社して長距離トラックの仕事を初めて始めたのは昭和59年の1月の中頃だったと思います。4トン保冷車でしたが、当時の仕事のメインは、丸中水産という仲買の仕事で、新潟への市場の休み以外毎日ある鮮魚の定期便でした。

 その鮮魚の新潟への定期便は、直江津、長岡、小千谷、そして新潟市内の魚市場の4箇所が必ず卸先となっていました。当時はまだバブル景気前の不景気な時代でもあったので、高速道路の使用は大きく制限され、定期便で許可されたのは、上越市の先の柿崎インターから新潟市内方面のみでした。

 当然に、富山県内は全部、国道8号線のいわゆる下道で、帰路は空荷も多かったように思いますが、高速の使用は一切認められていませんでした。その定期便の運賃は5万5千円と聞いていたような記憶もあります。

 他に多かったのは大阪、神戸方面への運行でしたが、これはブロイラーや油揚げなど小口の荷物の混載でした。荷物の積み始めは鮮魚の新潟便の帰路で、糸魚川市の青海の国道8号線沿いの団地のような建物の会社から油揚げを積み込むということもありました。

 青海は「おおうみ」あるいは「おおみ」と読んだように記憶していますが、Mozcでは変換候補が出てきませんでした。姫川の河口は青海よりさらに、親不知や富山県との県境に近かったとも思います。

 富山県内の数カ所で関西行の荷物を積み込み、森本の大鶏のブロイヤーや金沢市内の高畠でも油揚げの荷物を積んで、さらに夜の遅い時間には加賀市内の山代温泉の近くでも油揚げの荷物を積みました。荷降ろしも真夜中に京都府内の向日市から始めることが多くありました。

 大阪、神戸への運行では、帰りの荷物も小口の数カ所積みが多く、他に例外の記憶がないぐらい帰路も国道161号線を走っていました。それでも今津市の付近まで来るのは明るい昼の時間帯が多かったとも記憶しています。当時の給料は総額で20万円とも決まっていました。

 月の売上が80万円を超えると20万円の固定給から歩合がつくという話にもなっていましたが、私がいた昭和59年10月の段階では売上が80万円を超えて歩合がついたという話を聞くことはありませんでした。

 翌年の昭和60年には、同じ4トン車ですが、中西運輸商で売上が178万円になったと聞くこともありました。それでも給料が30万円になることがなく、金沢市場輸送の大型車の給料が30万円と聞いていて、それがすごい大金だと思える時代でした。

 平成3年の9月から始めた市場急配センターの長距離の仕事では、歩合に関わりなく会社の指示通りの運行をして50万円の固定給となっていましたが、一箇所の積み下ろしも多く、昭和59年当時の4トン車の仕事内容とは比較にならないほど楽と感じていました。

 同時に4トンウィング車の仕事をしていた被告訴人多田敏明の給料が30万円を超えるという話を聞いたことがあり、それを被告訴人東渡好信が若いものを甘やかし過ぎだと批判していたこともありましたが、4トン車で苦労したのも財産で、楽な仕事をさせてもらっているという思いも噛み締めていました。

 その比較にならないほど楽だと思っていた市場急配センターの長距離の仕事も、被害者安藤文さんのことで、ものすごい負担を感じるようになり、大事故を起こす危険性も痛切に考えるようになり、それも平成4年4月1日の事件を起こす大きな要因の一つとなりました。

 そういう負担を意図して最大限に掛けてきたのも、トラック運転手として経験が豊富だった被告訴人東渡好信の悪知恵だったと、信じて疑いの余地はありません。

 テレビに目をやると、いつの間にか日付も変わっていて0時56分となっていました。4月27日です。本日は2つ大きな予定があります。

 そろそろ小木港での釣り人の転落事故のことに移りますが、月曜日の24日に小木港の東一文字堤防にアジ釣りに行ったとき、行方不明になっていた釣り人の遺体が新潟県で見つかったという話を、顔見知りの輪島の人に聞きました。

 新潟県としか聞いておらず、まったくの初耳だったので、佐渡ヶ島の定置網のようなものを想像していたのですが、当夜家に戻ってからネットで調べたところ、能生町の底引き網から発見されたと知りました。

 地元で話を聞くことは全くなかったので不思議に思っていたのですが、ネットで調べた情報も新潟県内の一部地域の2件のニュースのみでした。

 つまり石川県でのニュースは全くなかったことになり、知らなかったことにすごく納得がいきましたが、17日の午後1時の発見ということで、報道のあり方に疑問を持つようになりました。

 その時、ネットで調べた状況は、スクリーンキャストの動画として保存し、YouTubeにアップロードしています。

2017年04月24日23時15分42秒/記録資料/能生沖で発見された遺体 身元確認 | 上越妙高タウン情報 https://www.youtube.com/watch?v=8bAoGTxCdlY

 人の白骨遺体が底引き網に掛かったという話は、過去に二度ほど石川県内のニュースで見た記憶があったので、当初はさほど驚きもしなかったのですが、以前見たものは金沢港沖かその近くだったと思います。

 能登富山湾に面した内浦で、水死体が見つかったという話はいくつか聞いていましたが、行方不明のままと聞いていたのは今回の件が初めてで、失踪を偽装した可能性まで想像し、人に話したこともあったぐらいです。過去に水死体が発見されたのもいずれも近辺だと聞いていたからです。

 時刻は1時33分です。パソコンがフリーズで固まりマウスも動かなかったので、強制的に電源を切り、起動のし直しをしました。

 小木港から新潟県能生町までは、直線距離で100キロも離れてはいないと考えていますが、広い海で、と書いた部分まで#のついた自動バックアップと思われるファイルで復元することができました。

2017-04-27_01.27.28.jpg

 上記のスマホで撮影した写真は、フリーズ時の状態です。これを参考に続きを書くことにします。

 小木港から新潟県能生町までは、直線距離で100キロも離れてはいないと考えていますが、広い海で2月3日の転落事故から二ヶ月半ほどで発見されたというのも偶然とは思えない に宇出津曳山祭の翌日に発見されたことで、さらに思いを強くしました。

 昨年の宇出津曳山祭では、強風で曳山が横転するという前代未聞の事故もありましたが、曳山祭が終わってから初めてアジ釣りに遠島山公園に行ったとき、いくもバイクをとめている場所のすぐ側で、動かない蛇が待ち構えるようにいたということもあり、神のお使いとも思えました。

 その蛇のことは、たぶんスマホで撮影したと思う動画としてYouTubeにアップロードしていると思います。たぶんスマホと書いたのは、当時はまだデジカメも携行し使うことがあったかもしれないと思うからです。そのデジカメを使わなくなった理由は、撮影時刻の不正確性です。

2016-05-13_16.51.56_遠島山公園の蛇、恵比寿の堤防でのアジングを予定変更で小木港へ.mp4 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=y2ExJmrGwrY

 ずいぶん久しぶりに動画の再生をみましたが、やはり近寄って撮影を開始しても蛇はまったく動かず、やはり死んでいるものと思った頃に、ゆっくりと動き出しました。その後も動きもゆっくりに見えましたが、その割に移動の時間が早いとも思いました。

 ファイル名をみると5月13日の撮影となっています。同じ日には同じくTwilogで見たツイートとして、遠島山公園の入り口付近でのノトキリシマツツジの写真もありました。

 こういうことを書くと、気味悪く思われ、人を遠ざける可能性が高いことも承知をしていますが、じょじょに考え方を変え、それが仮に神の意思だとすると、それを放置することは、さらなる犠牲を呼ぶことにもつながりかねず、犠牲を粗末にすることにもなると考えるようになったのです。

 昨年の曳山の横転事故では、同じ町内の30代の若者が片足を失いました。その白山神社の曳山のテーマが、「仙台高尾身請け話」でしたが、今年の曳山祭の前、その仙台高尾が高尾大明神とも呼ばれ、戦災で大きな打撃を受けた東京の小さな神社でまつられていることも、初めて知りました。

 昨年調べたのと同じネット上の情報でしたが、より時間をかけた昨年の検索で、そのことがまったく見つからなかったのも不思議なことで、果たして偶然なのかと考えました。3月10日の能登高校の女子高生が被害にあった殺人事件のあとだったと思います。

奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「仙台高尾」の検索結果 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E4%BB%99%E5%8F%B0%E9%AB%98%E5%B0%BE&ao=a

 意外なことに「仙台高尾」の検索結果は上記のTwilogで4件のみで、昨年の2016年と今年の2017年で2件ずつとなっていました。「高尾大明神」というキーワードは予想外になかったようですが、3月21日に初めて知ったものとうかがわれる検索結果でした。

 仙台高尾のお話も、昨年は後世の作り話という説をいくつかネットで目にしていた記憶があります。そういう歴史の否定のしかたは、小倉秀夫弁護士に何度かみられた傾向でもありましたが、先ほどの直江兼続直江状というものの話を、初めて知ったのも小倉秀夫弁護士のツイートでした。

 歴史上の物事を実に軽く断定的に肯定するのも小倉秀夫弁護士の特徴であり、その最たるものの一つがいわゆる朝鮮半島での慰安婦問題です。先の大戦における犠牲も全て無駄死にだと小倉秀夫弁護士は力強く断定をしていました。

 特異な戦争観は、深澤諭史弁護士にもみられてきた特徴であり、小倉秀夫弁護士より特異性があるのではと考えたこともありました。独自のハッシュタグをつけていたのも深澤諭史弁護士の特徴です。「太平ロー戦争」というようなものであったと思いますが、最近は見かけていません。

参考資料:「太平ロー戦争」をキーワードに含む「深澤諭史弁護士(@fukazawas)」のツイート(2015-03-12 12:49〜2016-05-17 14:03)「1/18」件 https://hirono2016s.wordpress.com/?p=43801

参考資料:「太平ロー戦争」をキーワードに含む(法クラ・弁護士・ジャーナリスト関連)のツイート(1アカウント、18件、 2015-03-12 12:49〜2016-05-17 14:03)「1/18」件 https://hirono2016s.wordpress.com/?p=46011

 現在メインにしているWordPressのブログから検索すると、上記二件のエントリーが過去のまとめとして見つかりました。

 弁護士あるいは法律家となった不遇を期待はずれの強い不満として募らせ、それを太平洋戦争における犠牲や理不尽と同列において独自のものを生み出したようですが、戦後から遠くない時代を子ども心に生きた世代としても、遥かに理解を超えたものとして見てきましたし、記録の必要性も強く感じました。

 そのような深澤諭史弁護士と共著の出版まで行ったのが、このエントリーの主役でもある野田隼人弁護士や、北周士弁護士、向原栄大朗弁護士なのです。もう一人いて、自らの情報の消去法からそれ以外にないのですが、匿名ではあるものの「過食弁護士」というアカウントの存在もあります。

 時刻は4月27日9時41分になっています。7時前に目がさめたのですが、起きてテレビをつけたのが7時58分でした。チャンネルはテレビ金沢で、8時から情報番組スッキリが始まりました。失言で辞職した復興相か痴漢で線路を逃走して逮捕された事件が、始まりになるものと予想していました。

 実際に始めになったのは、無痛分娩での妊婦の死亡事故でした。こういう医療事故の報道も以前に比較するとずいぶん少なくなったと思いながら番組を見ていましたが、すぐ思い出したのは福島の大野病院事件で、初めてモトケンこと矢部善朗弁護士のブログを見た頃に中心的に取り上げられていた問題です。

 志布志事件のこともありましたが、そのモトケンこと矢部善朗弁護士のブログでは、医療問題をよく取り上げ、実際の医師の人なども参加してコメント欄で議論をしていたようです。たぶん医療崩壊とも呼ばれた時期で、地元の宇出津病院でも危機的な状況という新聞記事を読んだことがありました。

 他に、昨夜、気になっていた次の深澤諭史弁護士のツイートを、野田隼人弁護士がタイムラインでリツイートしていました。これも取り上げておく必要性を考えるツイートで、関連したものが3つほどありました。

  • ツイート:fukazawas(深澤諭史):2017/04/26 14:04: https://twitter.com/fukazawas/status/857098148350754821

    https://t.co/KMJJD51Ai1 本当にこれ。 特に,専門知識やそれに基づく助言や判断,情報といったものについて,習得はおろか,検討したり回答するのに費やす労力に何らの敬意,いやそれ以前に理解をしていない者が多すぎる。

 上記の深澤諭史弁護士のツイートで、URLを引用されているのは次のツイートです。

  • ツイート:penology_nagata(Kenji NAGATA):2017/04/19 12:07: https://twitter.com/penology_nagata/status/854531965080412160

    他者の専門性に敬意を払わない人とは極力距離をとることが大切だと思います。自分の専門性が買い叩かれたり、無償で提供せよと迫られたりする可能性がありますし、格安or無償で提供しても感謝されません。それどころか、そういう人たちはよい仕事をしようとする気概もなければ能力もまずありません。

 ついさきほどツイートのURLをコピーするときに初めて気がついたのですが、見覚えのある大学の法学部教授のアカウントでした。ブロックもされているはずです。

 死刑制度について三重県四日市市の辺りの学校で講演する予定だったものの、無下にキャンセルをされたような話で、抗議文のようなものをアップロードしていたような記憶があります。

 詳しい内容な憶えていないですが、三重県のその辺りというのは、それより数年前に花火大会の帰りに女子中学生がわいせつ目的の被害にあい殺害された事件があり、その後、確か卒業式の前後の男子高校生が逮捕されたという事件がありました。

“学校” from:penology_nagata - Twitter検索 https://twitter.com/search?f=tweets&q=%22%E5%AD%A6%E6%A0%A1%22%20from%3Apenology_nagata&src=typd

 三重で検索しても該当はありませんでした。このTwitterの検索の画面が一部変更され、メニューが増えていることに気が付きました。

 「学校」でヒットしたのも4件だけで、いずれも組体操に関するもので、そう言えば初めて組体操の問題を知った頃、他の弁護士もその組体操の問題をツイートすることが多かったのですが、その流れか何かで、このアカウントの存在もしったという経緯だったと思います。

 「関西大学 永田憲史 三重」とGoogleで検索すると、次のPDFファイルが見つかりました。ホームページのようなタイトルの取得は出来ず、ファイル名となっているようですが、「三重県四日市高校及び三重県教育委員会とのやり取りについて 平成 28 年 11 月」などとなっています。

201611.pdf http://www.eonet.ne.jp/~penology/0/201611.pdf

 死刑という究極の刑罰の専門家であるだけに、考えさせられるところも大きいのですが、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のブログのコメント欄から追い出された理由も、「死刑執行と検察官」をテーマにした問題で、宇出津のしらさぎ書店で買った本の内容に関することでした。

三重中3女子 強制わいせつ致死犯 元少年(20) 親子とも反省無し 不定期刑 http://abhp.net/news/NEWS_99999780.html

 確認のため調べた上記のページにざっと目を通しましたが、光市母子殺害事件に似ている点がいくつかあると感じました。不定期刑で5年から9年の懲役となったとのことです。

 テレビで報道をみたときの感想では、近所の評判などとして被疑者の少年は父親ととても仲が良かったなどということが記憶に残っていました。上記のページでは、家族で不誠実な対応をして加害者家族とこじれたようです。被告は弁護士をつけず、被害者の方が代理人弁護士をつけたように書いてあります。

 他に、起きてから氣になったツイートは、ジャーナリストの江川紹子さんのタイムラインでの一連のものでした。刑事弁護や冤罪に対する本質的な問題が含まれていると感じました。時間を掛けて取り上げておくべきか、迷うところです。

  • ツイート:amneris84(Shoko Egawa):2017/04/26 21:32: https://twitter.com/amneris84/status/857210724799594496

    電車内の痴漢容疑で逃げて捕まった男性が逮捕。本人は否認。なのに、逃げたことに「人としてどうかと思う」のコメント紹介したNHK。痴漢冤罪のことに全く触れないのは、報道機関としてどうかと思う。

  • ツイート:amneris84(Shoko Egawa):2017/04/26 22:02: https://twitter.com/amneris84/status/857218313360883713

    今日のNHK9時のニュース内の電車内の痴漢・逃走についての報道は、日弁連が正式抗議してもいいレベル

  • ツイート:amneris84(Shoko Egawa):2017/04/26 23:19: https://twitter.com/amneris84/status/857237705523998720

    TBSも、痴漢を疑われて逃げる行為がいかに迷惑で、損害大であるかのみを伝える。なんで、こういう行為になるのかを考えた時に、捕まったら無実の訴えもなかなか聞き入れてもらえない現実もあることを、なぜ報じない?

 そう言えば、今朝の情報番組で、昨日逮捕されたというこの事件のことは、一つも取り上げたのを見ていません。スッキリ、とくダネ!、モーニングショーとチャンネルを変えていましたが、共通して時間を割いた報道だったのは、復興相の辞任問題でした。

 ジャーナリストの江川紹子さんのTwitterのフォロワー数は、223,492となっています。いくらか増加傾向かとも思いましたが、安定して減ることはないようです。冤罪や可視化の問題においても、弁護士側の批判など全くしないので、ずいぶん一方的な片手落ちとしか思えないのですが。

 あと、久しぶりに高島章弁護士(新潟県弁護士会)のTwitterのタイムラインを開いて、最近のツイートに目を通しました。多くの数は遡っていませんが、もともとキワモノすぎるとしか思えない弁護士なので、ツイートの内容というのもさほど関心もなく、優先度は低めです。

 ただ、今回の復興相の辞任問題に関連して考えたのは、新潟日報報道部長とのトラブルの問題です、結果として高島章弁護士(新潟県弁護士会)の圧勝としか思えないもので、その度合いに比例した報道部長の不利益や生活への影響は、すさまじく大きいものだと見ています。

新潟日報報道部長ツイッター中傷投稿事件 - Wikipedia http://bit.ly/2q9r316

 調べると、上記のWikipediaが出てきました。まだ読んでいないですが、こういう経過のまとまったページを見るのは、この問題に関して初めてかと思います。

 ざっと上記のWikipediaのページに目を通して、最初に気がついたのは「新潟水俣病訴訟弁護団長」の弁護団長という肩書です。私が以前見た情報では、報道部長は報道の現場で新潟水俣病の被害者の現状を見ていて、高島章弁護士に義憤を募らせた、という趣旨のことがあったと記憶しています。

 上記のWikipediaのページには、そのようなことは触られていないようですし、「本事件の高島弁護士のような地道に活動を行っている真面目な左翼」という記載もありました。

 高島章弁護士の人なりに対する疑問は、「金玉神社」と「金玉踊り」という二つのキーワードで、十分すぎるぐらいと私はずっと前から考えてきました。「人をくったようなところ」という表現がありますが、まさに典型的なそれだと思いますし、刑事弁護の考え方も危険思想を感じています。

REGEXP:”金玉(神社|踊り)”/高島章(弁護士)(@BarlKarth)のツイートの記録(2017年04月27日11時21分・27件) https://hirono2016s.wordpress.com/?p=63279

REGEXP:”金玉”/高島章(弁護士)(@BarlKarth)のツイートの記録(2017年04月27日11時22分・107件) https://hirono2016s.wordpress.com/?p=63281

 上記2つのまとめ記事を作成しました。

 その金玉の問題より、はるかに深刻と私が考えてきたのは、新発田市の連続強姦致死事件に対する高島章弁護士(新潟県弁護士会)のツイートでした。新潟で死刑判決が出るかもしれないので、心配でたまらない、というような内容のツイートだったと思います。

REGEXP:”死刑”/高島章(弁護士)(@BarlKarth)のツイートの記録(2017年04月27日11時27分・61件) https://hirono2016s.wordpress.com/?p=63283

 もう一つまとめ記事を作成しました。「死刑」をキーワードにしましたが61件というのは数が少なく感じました。これは私が個人で管理するデータベースの情報であり、ツイートは手動で登録することが多く、収集作業を行った程度で、当然結果は変わります。目的のツイートを探し出すためでもあります。

  • ツイート:BarlKarth(高島章(弁護士)):2008/09/25 18:50: https://twitter.com/BarlKarth/status/934155103

    @nomurayamansuke 新潟は20年近く死刑判決がないので助かっている。

  • ツイート:BarlKarth(高島章(弁護士)):2010/10/04 18:51: https://twitter.com/BarlKarth/status/26348150293

    新潟地裁では,30年くらい死刑がないのだから,実質上死刑廃止県なのだ。

  • ツイート:BarlKarth(高島章(弁護士)):2010/12/10 15:07: https://twitter.com/BarlKarth/status/13112578846752768

     死刑求刑事件については,刑事補償を1日15万円くらいにしても良いだろう。現行は1万2500円。

  • ツイート:BarlKarth(高島章(弁護士)):2011/01/11 22:45: https://twitter.com/BarlKarth/status/24824296002035712

    40年前,新潟地裁で死刑判決を受けた人の霊が漂っているという話がないでもない。

  • ツイート:BarlKarth(高島章(弁護士)):2012/02/20 21:59: https://twitter.com/BarlKarth/status/171579846995091456

    光市母子殺害事件,原田國男先生がコメントするかな? 仙台地裁の少年死刑判決事件は,すごく批判していたな。

  • ツイート:BarlKarth(高島章(弁護士)):2012/04/17 17:34: https://twitter.com/BarlKarth/status/192169025772597248

     それに,何より被告人がお気の毒だ。「ド素人のどんぶり勘定で死刑」という思いを抱くに違いない。それは被告人が真犯人か否かに関わりない。

  • ツイート:BarlKarth(高島章(弁護士)):2012/04/24 16:49: https://twitter.com/BarlKarth/status/194694590148780033

    社会を憤激させる事件や死刑執行があるとある種の人たちが沸き立つのだが,一種の鬱憤晴らしなんだろうなぁ。普段たまっている鬱憤を誰かを攻撃することによって解消したいという真理はそれなりに分かるのだがね。

  • ツイート:BarlKarth(高島章(弁護士)):2013/11/01 16:08: https://twitter.com/BarlKarth/status/396171792831614976

    生きのいい連続放火や殺人事件をやってみたいのだが,新潟は平和な街なのでそういう事件は少ない。もう40年近く死刑言い渡しがないので,死刑廃止県と言って良い。

  • ツイート:BarlKarth(高島章(弁護士)):2014/08/07 15:20: https://twitter.com/BarlKarth/status/497265971480915968

    白山神社に「新潟地裁が死刑を言い渡しませんように。」と記載した絵馬を奉納しようかな。

  • ツイート:BarlKarth(高島章(弁護士)):2015/11/10 21:42: https://twitter.com/BarlKarth/status/664060499621863424

    @moohashi @a1675ka 訂正 死刑があるような国を土人国家と呼び、人権を尊重しない検察官を土人と呼んでいます。

  • ツイート:BarlKarth(高島章(弁護士)):2015/12/18 13:38: https://twitter.com/BarlKarth/status/677709441228259328

    「40年以上死刑がない新潟地裁で死刑判決が出るかもしれない」ということに,私は本当に生々しい衝撃を受けた(新発田強姦致死事件 その当時は,強姦+殺人=死刑の起訴を検察は検討していた)。

 このエントリーにおけるTwitterの詰め込みツイートの数が、多くなりすぎているので、デザインが読み込まれるか心配になってきました。一度、ブログへアップロードしてみます。

石川県警提出書面)我孫子市女児殺害事件と能登小木港の釣り人行方不明者の発見から考える報道のありかたと、野田隼人弁護士のツイート.md - 奉納:危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中 http://hirono-hideki.hatenablog.com/entry/2017/04/26/105913

 時刻は4月28日10時30分になっています。昨日はブログ記事のアップデートをし、埋め込みツイートも問題なく表示されていることを確認してから中断しました。

 昨日27日の用事ですが、15時から母親のいる上町の病院で半年に一度のカンファレンスがありました。それから新村浜に16時30分の集合で送迎バスに乗り、祭礼委員の慰労会で羽根の、うしつ荘に行きました。家に戻ったのは20時過ぎぐらいだったと思います。

 二人の人が、小木港で行方不明になっていた釣り人が新潟で発見された、というニュースをテレビで見たと話していました。いつ頃のことなのかとたずねると、一週間ぐらい前と言っていました。前に書いたように、ネットでは新潟県の2件のニュースしか見つかることができませんでした。

 うしつ荘に行ったのも久しぶりでした、自分の車で行ったという記憶しかないので、2009年3月15日に車検が切れて羽咋市から宇出津に戻った、その時よりだいぶん前ということになりそうです。入浴だけ可能で、町の銭湯と値段も変わらないので、利用者はけっこういるようです。

 うしつ荘で宿泊したという記憶はないのですが、食事をしたのも記憶にあるのは2度めで、前回は平成1年か平成2年の1月の中頃で、被告訴人KYNの結婚式での食事だったと思います。結婚式は酒垂神社だったと思いますが、酒垂神社の中に入ったというのも他に記憶はありません。

 小さい頃にも親戚の人だと思いますが、連れられて何度か行った記憶が残っていますが、それもあやふやな記憶となっています。一番よく通ったのは、昭和58年の夏頃で、普通免許をとって車の運転をするようになった頃、よく行っていました。

 マイクロバスからですが、無人駅でしたが羽根の駅舎がそのまま残っている様子でした。宇出津駅の周辺はトンネルの辺りなどずいぶん荒れているのですが、羽根駅の周辺はそうでもなさそうで、現在でも鉄道が走っているのではないかと、思えました。

  羽根駅は他の無人駅とは違って、駅の前がちょっとした広場になっています。電車で通過するときも外の風景が目立ったように記憶しています。小木分校への電車通学で毎日のように見ていた景色だったと思いますが、当時は国鉄で、電車ではなく汽車と呼ばれていました。

 今朝は、取り上げたいテーマが2つ出てきました。一つはこれと同じく野田隼人弁護士のツイートですが、「自治体の責任」という言葉が出てきたものです。もう一つはモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の共謀罪に言及したツイートです。今に始まったことではないですが、そろそろと考えます。

 野田隼人弁護士に注目しているのは、彼がまっとうな主張を述べる正論の弁護士に見える部分が大きい、ということがあります。私からは違った見方もあるのですが、それはそれとして、客観的な存在として、その意見も主張も尊重をして、取り上げご紹介しているわけです。

 そろそろこの項目も締めくくりにかかりたいと思います。タイトルを見直すと、「小木港の釣り人の行方不明の発見」となっているので、それ以前の背景事情というのは対象外とも言えそうです。

 昨年の11月に宇出津新港の堤防で、2回の転落事故があり、珠洲警察署によって宇出津新港の堤防は魚釣りの立ち入りが禁止となっていました。そして2月3日という小木港の行方不明となった転落事故で、他の堤防ものきなみ魚釣りが禁止となり、能登町全部の堤防が対象という話も聞いています。

 転落事故は全て夜間に起こっているはずで、小木港では過去にも数件の転落死亡事故がありましたが、多くが冬場の水温低下による低体温症が死因のはずです。11月の宇出津新港の転落事故でも、その季節なのに低体温症で2,3日宇出津病院に入院したと聞いています。

 宇出津新港の堤防で、転落は過去にも何度かあったと聞いていますが、死亡事故というのはないはずです。小木港の堤防の方が、這い上がる場所が遠く、潮流も速くて危険性は格段に高いですが、海が静かなことも多く、昼間であれば人も多く、さほど大きな危険があるとは思えません。

 そもそも富山湾に面した能登町は、全国的にもまれなほど海が穏やかで波静かな場所であるはずです。新潟で発見されたというニュース記事で初めて知ったことですが、転落事故のあったときの状況は、堤防に波が上がるほど荒れていたとのことです。

 死亡事故で堤防の立ち入りが禁止され、新聞等でも大きな問題として取り上げられたのは、昭和から平成に入った頃のことで金沢港の大きな堤防でした。入るのが困難な大きな柵のゲートが設置されていました。

 平成3年の8月頃に一度だけ、その金沢港の大きな堤防に入り、堤防の先端まで歩いていったことがありました。歩いて30分かかると言われていました。一緒に行ったのが被告訴人安田敏でした。堤防というよりはダムのような巨大さで、あきらかな危険性がありました。

 金沢港の近くの金石港にも、そこそこ大きな堤防があって、そこには度々魚釣りに行った時期がありました。季節は夏頃でしたが、その年だけだったと思うものの、割と頻繁に魚釣りに行った時期がありました。平成1年かと思いますが、はっきり特定できません。

 金沢港周辺での魚釣りで釣れたのはほとんどがセイゴという小型のスズキでしたが、食用にすることはありませんでした。現在でも金沢港で釣った魚は食べないという人が多いですが、中には刺し身で食べるという人もいます。油臭くて、フライにしても食べられたものではないという人も。

 やはり、金沢で魚釣りに行っていたのは、長距離の仕事をしていなかった時期で、平成1年だったと思います。北都運輸の専属で、野々市の配送センターから主にマヨネーズやドレッシング、ジャムを4トン保冷車で市内配達していました。

 北都運輸は、全国各地に支店や営業所を持つ大手運送会社以外では、トラックの保有台数など規模が石川県で一番大きい運送会社と言われていましたが、平成3年の7月頃、倒産したと新聞に報道され、運転手の間でも話題になっていました。被告訴人松平日出男も笑顔で話をしていました。

 被告訴人松平日出男は北都運輸と仕事上の付き合いもあったようです。宇出津のKさんが北都運輸の仕事を始めたとき、使うのをやめるように電話を寄越していました。どういう状況だったのか、鮮明に思い出すことが出来なくなっていますが、その場にいて話を聞いていたのです。

 宇出津のKさんは、宇出津のカワムラさんと姫のNさんの二人が、市場急配センターで2トン車の持ち込みの仕事を始めて、しばらくしてから一緒に同じ仕事をしていた人ですが、そのうち姿を見かけなくなっていました。宇出津の人と聞いたのも、被告訴人大網健二だったと思います。

 北都運輸でも配送センターで久しぶりに姿を見かけ、そのすぐあとに被告訴人松平日出男からの苦情のような連絡があったのですが、それとは別に、金沢市問屋町のトナミ航空で、展示会の荷物をワゴン車で持ってくる姿を見かけました。

 Kさんの乗ってきた車には、宇出津の「大脇昆布」と書いてあり、大棚木とも書いてあったように思います。大棚木は宇出津の町内で、住所にあるような地名ではありません。私は、宇出津で大脇という名前も、昆布の会社がるというのも聞いたことがなく、とても不思議に感じました。

 大棚木は近所で、どんな会社があるのかもだいたい分かっているつもりでした。ずっと気になっていたのですが、平成9年の4月か5月頃に、無料のパソコンの講座でユースホステルがあった場所に通っているとき、歩いて通りかかったときに、たまたまその店の看板に気がついて、始めて知ったのです。

 そのあたりは現在、城山という町内になっていますが、昭和の頃は大棚木の一部でした。坂を登ったところで左右に道が分かれ、右に行くと遠島山公園。左に行くとユースホステルがあった場所で、その隣に比較的新しい町の施設のような建物があり、そこが講習の場となっていました。

 被告訴人松平日出男本人も、私に一度、宇出津のあばれ祭りに招かれて行ったことがあると、話していたことがあります。招いたのはカワムラさんとKさんのどちらかと考えましたが、なんとなくKさんの可能性の方が高いように、話を聞きながら考えていました。

 Kさんのこともカワムラさんのことも、ほとんど、あるいは全てが被告訴人大網健二から聞いた話でした。なんとなく聞き流したようなところもあり、記憶になっていないところもあったかと思いますが、Kさんの家は、宇出津の田町の辺りをイメージしていました。

 カワムラさんの方は、イワイマチか漆原と聞いたような気がします。イワイマチという町内はないのですが、下岩屋と上岩屋のことをイワイマチと読んでいました。子どもの頃に一緒に遊んでいたという話も聞いたように憶えています。

 遊び場所として有力なのは、持木病院の向かいにあった保育所です。現在は「こどもみらいセンター」という名称の建物になっていますが、人の出入りを見たことがなく、やっているのかと不思議に思うことがあります。前に広場があって、遊具のようなものもあり、子連れの姿は見かけるかもしれません。

 その保育所は現在とは逆の裏手の方に広場があって、3分の1ぐらいは浅いプールになっていたと記憶しています。小さい時、先生の管理の元、沢山でそのプールで遊んだ記憶があるのですが、不思議と建物のなかの記憶というのは、まったく残っていません。

 幼稚園というのは別にあって、宇出津小学校と同じ敷地で裏の方にある建物でした。そこでも昼寝の時間に眠れずにいた記憶が一つ残っているだけです。その幼稚園では卒業写真のようなものが一枚あって、今も残っていますが、被告訴人大網健二の姿もあります。

 昭和63年の8月の終わりか9月の始め頃になるかと思います。二口町の金沢市場輸送の事務所で、初めて被告訴人松平日出男に会いました。高田という人物の失踪以来、長く不在となっていた市内配達の管理者になったと聞きました。管理者という言葉ではなく責任者だったかもしれません。

 それからすぐだったと思います。姫のNさんと宇出津のカワムラさんの二人の姿を、金沢市場輸送で見かけるようになりました。姫のNさんのことはよく知っていました。最初に会ったのが昭和56年の12月頃で、その後、友達の友達として何度も一緒に行動することがありました。

 二人ともとても古い2トントラックに乗って、持ち込みでの市内配達の仕事を始めたと話していました。同じ頃に、被告訴人大網健二に会って話を聞くこともあり、その前までは、2トンのトラックで魚の行商のようなことをやっていた、と聞かされました。

 なお、市内配達の管理者が不在であった期間、その代行と聞いていたのが被告訴人梅野博之です。年下の市内配達の運転手から話を聞いていたのだと思いますが、管理者のポストというのはなぜか不在のままで、一時的にせよ、被告訴人梅野博之が就任することはなかったようです。

 その入社のタイミングもありますが、被告訴人松平日出男と姫のNさん、宇出津のカワムラさんとの関係は、相当に深いと思われながら、一緒にいる姿というのもほとんど見かけず、ずいぶんよそよそしくも感じていました。別の見方をすれば、実に慎重な関係性、距離感の調整です。

 宇出津のカワムラさんのことは、最初に出会ったときから見たことがあるような人ではなく、何もわからなかったのですが、かなり年が離れた年上と被告訴人大網健二から聞いたので、それだけ年が離れていれば、当然だと考えていました。

 私は小学校5年生になったときに、辺田の浜から宇出津の小棚木に引っ越してきましたが、その小学校の5,6年生の頃は、同じ町内で、かなりの年長者からかなりの年下まで幅広く一緒に遊ぶことがありました。私の近所での遊び場は、今も建物がそのままの「しらさぎ保育所」の広場です。

 新村のあたりでは、塩谷寺の下の広場に、子どもがよく集まっていましたが、小棚木の方との交流はなく、昔ながらの関係性が続いているという感じでした。

 中学生の頃は、被告訴人大網健二は、イワイマチの子供とよく一緒に遊んでいました。私のそれに参加することが多かったのですが、被告訴人大網健二の町内は大橋組でした。新村もすぐ近くですが、新村の子供と遊ぶような姿は、見たことがありませんでした。

 昨年になって、上町、中町、大橋組をあわせて、新町三町内と呼ぶと知りました。これは宇出津の中心部であり、かなり広い場所になりますが、上町にも中町にも男の同級生というのはほとんどいなかったように思います。大橋組には3人いて、家も隣同士に近く並んでいました。

 被告訴人大網健二から姫のNさんは、松任市のアパートに住んでいると聞いていました。カワムラさんがどこに住んでいるのか、既婚かどうかも聞いたことはなかったのですが、もしかすると同じアパートに住んでいると聞いたこともあったかもしれません。

 それは被告訴人大網健二から聞いた話ではなかったかもしれません。同じ市内配達をする運転手から、自分も彼らと同じアパートに住んでいるといった話を聞いたのです。その人の名前は、とても珍しい名前だったので、今でも憶えています。ここに書きませんが、二文字の漢字で、読みも二文字です。

 その人と話をしたのは、その時一回だけだったと思います。残念なことに思い出せなくなっているのは、話を聞いた場所と時期です。市場急配センターで仕事をするようになった平成3年6月以降という気もするのですが、その後、その人の姿を見かけることはなくなりました。

 乗務していたのもたぶん古い2トン車で、持ち込みだったのだと思われますが、白い色のトラックに乗っていたような気もします。仕事の内容が違うので顔を合わせる機会は多くなかったと思いますが、少なくとも平成4年1月4日の新年顔合わせに、その姿はなかったと思います。

 時刻は19時34分になっています。午後は自転車で銀行に寄りバイク屋まで、昨日冬タイヤからのタイヤ交換を頼んでいたパイクを取りに行き、しばらく雑談をしていましたが、Aコープ能都店で弁当を買って家に戻り、それを食べてから宇出津新港の岸壁に魚釣りに行っていました。

 途中で、氷会社の方に移動したもののアジは一匹も釣れず、釣れたのは小さいメバルが一つで、それもバッカンの海水に入れていたのを帰り際に海に戻して逃してきました。家に戻ったのが19時ころでした。

 今朝は、取り上げる予定でいたツイートが二つあったのですが、出かける前に野田隼人弁護士のタイムラインで見ていた本人のツイートを、深澤諭史弁護士がリツイートしていて、それが最新のものになっていたのですが、かなり深い内容で以前から気になっていた問題なので、優先度を上げたいと思います。

 このエントリーのタイトルには、「報道のありかた」という文言を含めましたが、行方不明者が新潟で発見という報道をテレビでやっていたと知り、みかたもいくらか変わってきました。能登高校の事件も報道がないままで気になってはいますが、まだ書類送検にはなっていないようです。

 能登高校の殺人事件も、野田隼人弁護士にみられるような弁護士的な視点、価値観では理想的な警察の対応なのかと考えてきました。釣り人への注意喚起が重要であれば、なぜ石川県内で報道がなかったのかとも考えたのですが、見過ごし、ネットで見つからないような小さな報道で終わったようです。

 次のエントリーも、野田隼人弁護士をメインに取り上げたいと思います。性犯罪の厳罰化の問題ですが、野党では与党が、その性犯罪の厳罰化より共謀罪の法案成立を優先させたことに批判と不審を繰り広げていると、だいぶん前からテレビでも報道を見ていました。

 そのような野党の態度は、一部の熱心な弁護士の影響を強く受けたものだと考えています。真面目で熱心な弁護士もいるのでしょうが、そうではない弁護士が同業者として存在することに余りに無関心であり、まったく無責任すぎるのではと、私は弁護士に受けた仕打ちから考えています。

<< 2017/04/28(金) 20:00:41 <<